僧侶の法話

言の葉カード

 自分が一番可愛くて他人を犠牲にしてでも自分を大事にしたい、という残酷な一面をわたしたちはもっています。仏教ではそれを我欲、自分に対する執着といいます。でも、それと同時に自分だけが抜け駆けをして幸せになっても、それは本当の幸せではないことにもわたしたちは気づき始めているのではないでしょうか。
 『阿弥陀経(あみだきょう ※)』というお経には極楽世界が描かれていますが、その中に「共命(ぐみょう)の鳥」という鳥が出てきます。身体は一つで普通の鳥と変わらないのですが、頭が二つあります。極楽に来る前、この鳥は二つの頭がお互いに自分の声の方がきれいだとか、自分の意見の方が正しいとか言ってケンカばかりしていました。ある日、毒を盛って相手を殺そうとして自分も苦しくなり、ようやく自分のいのちは自分のためだけにあるのではない、自分のいのちは他とともにあるのだということに気づいたのだそうです。自分がしていることの愚かさに気づかないほど愚かなこの鳥とは、一体誰のことでしょうか。
 自分が、自分がと声を張り合って主張し、他者との関係を見失っているわたしたちと似ていないでしょうか。共に生きるという言葉は知っていても、実際にそうなるということはそう容易なことではありません。でも、だからこそ「共に」という世界が願われているのだと思います。

阿弥陀経
浄土真宗で大切にされる経典(お経)の一つ。

藤場 芳子氏
真宗大谷派 常讃寺副住職(石川県)

『大きい字の法話集』(東本願寺出版)より
法話 2020 10