2020年神無月(10月)の言葉

仏教の教えについて

言の葉カード

 仏教においては、共に生きることを「共業(ぐうごう)」と教えられています。共業とは、文字どおり「業を共にする」という意味で、平たい表現でいうならば、人間は互いに悩みや苦しみを抱えた「弱者」であるという関係性を共にすること、と表現することができましょう。つまり、この「共業」という共生の世界観は、互いに、いまだ「さとり」を得ていない者であるという意味での「弱者」を自覚しないと実現できないのです。そのような意味においては、私たちの日常生活は、「不共業(ふぐうごう)」を生きているといえましょう。
 親鸞聖人は、そのような「不共業」を生きている存在として「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」とおっしゃっています。この言葉は、不共業を生きている身の自覚といっていいと思います。その不共業を生きている我が身という自覚とは、如来より教えられている「共業」という世界観に聞き、学んでいこうという姿勢に他ならないのです。それは、「いずれの行もおよびがたき身なれば」というように、自らが「さとり」を開き「金剛不壊の心」を得ていこうという思想でもありません。むしろ、互いに悩みや苦しみを抱えた「弱者」であることを自覚し、「とても地獄は一定すみかぞかし」として、共に「共業」という仏様の世界観に聞こうとする、誰の上にも成り立つ仏道を追い求められたのだと思います。

『歎異抄(たんにしょう)』(唯円)

頼尊 恒信氏
真宗大谷派 聞稱寺(大阪府)
月刊 『同朋』2015年6月号(東本願寺出版)より
教え 2020 10

暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 日常会話では、「あのひとは愚痴(ぐち)っぽいね」などと使います。愚痴は「言っても仕方のないことを嘆くこと」ですが、これはもともと仏教語です。意味は「仏さまの真実の智慧(ちえ ※)に暗いこと」です。
 人間は「自分のこころ」を信じているので、〈真実〉が見えません。ところが、仏さまは「人間のこころ」を煩悩(ぼんのう)と教えて下さいます。煩悩とは、怒りや欲望の感情のことですが、それは表面的なことで、もっと深い煩悩は、比べられないものを比べて悲しみ、苦しむこころです。煩悩は「比べるこころ」ですから、いつでもひとと自分を比べます。ですから、時には「自分も捨てたものではない」と自惚(うぬぼ)れることもあれば、「どうせ自分なんてダメな人間だ」と自棄にもなります。それを操っているのが「人間のこころ」、つまり煩悩です。ただし、それが煩悩のはたらきだと気付けば、煩悩の束縛から解放されることがあります。「仏さまの真実の智慧」は、私たちの「人間のこころ」を煩悩と教え、真実に背いていると叫び続けているのです。

智慧
知識や教養を表す知恵とは異なり、自分では気づくことも、見ることもできない自らの姿を知らしめる仏のはたらきを表す。

武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)

仏教語 2020 10

僧侶の法話

言の葉カード

 自分が一番可愛くて他人を犠牲にしてでも自分を大事にしたい、という残酷な一面をわたしたちはもっています。仏教ではそれを我欲、自分に対する執着といいます。でも、それと同時に自分だけが抜け駆けをして幸せになっても、それは本当の幸せではないことにもわたしたちは気づき始めているのではないでしょうか。
 『阿弥陀経(あみだきょう ※)』というお経には極楽世界が描かれていますが、その中に「共命(ぐみょう)の鳥」という鳥が出てきます。身体は一つで普通の鳥と変わらないのですが、頭が二つあります。極楽に来る前、この鳥は二つの頭がお互いに自分の声の方がきれいだとか、自分の意見の方が正しいとか言ってケンカばかりしていました。ある日、毒を盛って相手を殺そうとして自分も苦しくなり、ようやく自分のいのちは自分のためだけにあるのではない、自分のいのちは他とともにあるのだということに気づいたのだそうです。自分がしていることの愚かさに気づかないほど愚かなこの鳥とは、一体誰のことでしょうか。
 自分が、自分がと声を張り合って主張し、他者との関係を見失っているわたしたちと似ていないでしょうか。共に生きるという言葉は知っていても、実際にそうなるということはそう容易なことではありません。でも、だからこそ「共に」という世界が願われているのだと思います。

阿弥陀経
浄土真宗で大切にされる経典(お経)の一つ。

藤場 芳子氏
真宗大谷派 常讃寺副住職(石川県)

『大きい字の法話集』(東本願寺出版)より
法話 2020 10

著名人の言葉

言の葉カード

 「強くありなさい」や「強い〇〇を目指して」という言葉を聞くと、強くなければいけないと錯覚してしまいます。そうすると、落ち込むことや壁にあたることは無意味なことにもなりかねません。「弱さを乗り越えるために必要な要素だから、その出来事を無駄にせず頑張りなさい」と、圧力のように背中を押された経験をもつ人も少なくないのではないでしょうか。この言葉の続きは、『人間は苦しめられ打ち負かされたとき何かを学ぶ』とも言われています。
 生きていると予期せぬことばかり押し寄せてきます。自分のことに限らず、大切な家族や友人、仲間にそれらが降りかかることもあります。あるいは、社会の状況もそうでしょう。
 何かを乗り越える強さをもつことは素晴らしいことですが、苦しいこと、悲しいこと、不条理なことだらけの人生をどう生きてゆくか。「弱さ」を隠さず、なかったことにせず生きてゆく道を見つけたいものです。

ラルフ・ワルド・エマーソン
哲学者(アメリカ)

著名人 2020 10