2018年皐月(5月)の言葉

仏教の教えについて

言の葉カード

 この言葉は、室町時代の浄土真宗の僧侶、蓮如(れんにょ ※)が述べたものです。ある人が蓮如に、「私は、仏さまの教えを聴いている時は、なるほどその通りだ、ありがたいことだ、と思っているのですが、すぐにそのような気持ちを忘れてしまいます。まるで、穴だらけのかごで水を汲(く)もうとしているようなものですね。」と言いました。するとそれに対して蓮如は、「かごで水を汲もうとするから大変なのではないかな? かごを水に漬けるような気持ちでいたらどうかな?」と言ったというのです。この会話はどういうことをあらわしているのでしょうか。
 ここでいう仏さまの教えとは、私たちの心が、自分中心のものさしを持っていることを教えてくれる存在です。ある人は、そうした自分の心の問題を知らせてくれる存在の大切さをせっかく感じても、すぐに忘れてしまう、と言うのです。これに対し蓮如は、そうした大切な存在を、自分の内側に取り込もうとするからつらくなるのだとし、自分のそれまでのものさしが間に合わないと教えてくれた存在の中に、ただ身をひたすような気持ちで接すればよいのではないか、と語っています。

蓮如
室町時代の浄土真宗の僧侶

大谷大学HP「きょうのことば」(2014年5月)より
教え 2018 05

暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「金輪際、悪いことはいたしません」。この「金輪際」という言葉は仏教語だったんですね。辞書によると、私たちが暮らしている大地の最下層の底のことだそうです。
 私たちが「金輪際~」と言うときには、もうこれより他はないという決意や決断を含んだ意味合いで用います。私にはこの「金輪際」という言葉が、親鸞聖人のいわれる「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」(『歎異抄(たんにしょう)』第2条)の「地獄」と同じような意味に聞こえてくるのです。この地獄より下はない。地獄の底に堕ちてしまえば、そこが安心の大地なのだよと聞こえてきます。
 お正月に神社でおみくじを引いたひとがいます。大凶だったそうです。彼は「いまが大凶なんだから、これからはよくなるいっぽうだ!」「おみくじの中から数少ない大凶を引き当てるのは、逆に幸運なんだよ!」と強がっていました。彼ばかりでなく、誰しも大凶がいやなんです。この大凶の正体を突き詰めてゆくと、生老病死に行き着きます。
 しかし、人間はこの世に生まれたとき「生と死」を同時に手に入れているのです。誕生は生だけでなく死も生み出してしまうのです。そういう意味で人間は、すでに「生まれる」という大凶のおみくじを引き当てているのです。それも決して吉に転ずることのない大凶です。もともと出発点が大凶なのだから、吉の夢に破れることもないのでしょう。ここに「金輪際」おみくじに頼らなくてもよい、生きる勇気があるように思います。

武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)

月刊『同朋』2002年4月号より
仏教語 2018 05

僧侶の法話

言の葉カード

 この「何を求めて生きていますか?」というその問いに向き合ってきた、私はそれが浄土真宗の歴史だと思います。そして、その何を求めている、この「何か」ってことがわかっていることが、実は生きる意味がそこに明らかになってくるということではないかなと思います。その何かがわからなければ、生きていたとしても生きたという実感が持てない。死んでも死にきれないということになってしまうのではないかと思います。
 死という現場において私たちがお経をいただくわけです。ですからお経は死者にむけて勤(つと)められているわけじゃないのです。死を縁として、死を身の事実として生きている私たちがそのお経の言葉に呼びかけられているわけです。言葉は聞くためにあるのです。伝えたいためにあるということです。

海 法龍氏
真宗大谷派 長願寺住職(神奈川県)

札幌市での講演会講義録「何を求めて生きていますか」より
法話 2018 05

著名人の言葉

言の葉カード

 結局、人間は言葉にだまされて生きている。だから言葉で自分の脳を洗脳することができるんじゃないかと思うんです。言葉があることによって他人との比較を生んでしまい、それが苦しみの原因となる。だったら言葉を上手に使ってポジティブになれる方法もあるんじゃないか。ぼくはどんなに辛いときも、『そこがいいんじゃない!』と思うようにしているんです。お金がなくなって今月はピンチ、彼女にフラれた、仕事がうまくいかない…。どのようなケースでも『そこがいいんじゃない!』。不安も突然襲って来る。そのとき『不安タスティック!』と言えば、少しは楽になるかもしれないと思って実践しているんです。

みうら じゅん(作家)

「サンガ」No.118より
著名人 2018 05