仏教の教えについて

言の葉カード

 電車に乗っていたときのこと、窓からの風景をぼんやり眺めていたら、ある言葉が目に飛び込んできました。
 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)
 それは、道路の橋脚に黒のスプレーで書かれた大きな大きな落書きでした。まだ新しく、誰が、どのような思いで書いたのだろうかと思いを巡らせました。「天の上にも天の下にもただ我独り尊し」。これは、釈尊(しゃくそん ※)の誕生にまつわる有名な言葉ですが、ときに「自分だけが偉い」という傍若無人(ぼうじゃくぶじん)の意味で使用されることがあります。
 しかし、この言葉は本来「私はこの世においてただ一人だからこそ尊い」という、一人ひとりの尊厳性を表す言葉として理解されます。私たちは誰もがこの世界において唯一の存在であり、ただ一度限りの人生を、ただ一回だけ生きるのです。この事実を「かけがえがない」とも「尊い」とも言うのです。釈尊は生涯をかけて、この大切な事実を、私たちに明らかにしてくださった人であるからこそ、この言葉は釈尊の誕生の場面とともに今日まで大切に受け継がれてきたと言えるのでしょう。
 さて、京都の大谷大学には、仏教を学ぶ授業があります。どの専門分野の学生もその授業で釈尊や親鸞聖人の生涯と基本的な教えを学ぶのですが、初めて学ぶ学生がほとんどです。そして、釈尊の誕生の場面においては、必ず先ほどの話をしてきました。私たちは誰もが「かけがえのない」「尊い」存在であるということを、仏教は伝えようとしていること。しかもそれは、誰かと比べて得る尊さではなく、比べる必要のない存在自体の尊さを表しているということを。
 この学びは学生の心に強く残るようです。比較の中で自分自身を位置づけるしかなかった学生にとっては、この仏教の視点は新鮮な驚きなのでしょう。おそらく、これまでの人生ではっきりとそのように教えられる機会を得てこなかったことの表れであろうとさえ思います。
 授業後の感想では、「いつも誰かと比較して息苦しい思いをしてきた」という学生の率直な声に触れることもあります。また、「自分が比べる必要なく尊いということは、当然、他者も同じだ」という大切な気づきに出会うこともあります。自己を正しく理解することが、他者を理解するために、そして、あらゆる人々と共に生きるために欠かすことのできない学びであるということを、学生の受け止めから日々教えられてきました。
 私たちは比べ合い、競い合う社会を生きています。その中でこの大切な事実を見失うことがないように、確かめ続けていかねばならないと思うことです。

釈尊
お釈迦さまのこと。

『ブッダの教え』
山田 恵文氏
真宗大谷派 安正寺住職(三重県)

真宗会館広報誌『サンガ』197号より
教え 2026 04