僧侶の法話

言の葉カード

 暑さが過ぎ去り台風も過ぎ去り稲穂が実る時期となりました。
 稲穂が実る姿を見ると「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という言葉を思い出します。
 実れば実るほど、まるで有難うとお辞儀をするかのように稲穂が垂れ下がる様子を詠んだ句です。あらためて、普段の自分の姿が頭を垂れる稲穂の姿とかけ離れていると実感します。
 どうしても、自分がこれまでした経験や価値観を正しいと思い込み、頭が下がらずいつの間にか傲慢(ごうまん)になっている私がいます。
 親鸞聖人はご自身のことを「愚禿(ぐとく)」と名乗っておられます。
 『愚禿鈔(ぐとくしょう ※)』には「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」と書かれており、「私の心は外見では賢く振舞っているが、その中身は煩悩(ぼんのう)にまみれ、愚かである」という意味です。
 多くの研鑽(けんさん)を積まれてこられた親鸞聖人が「愚禿」と名乗られたお姿こそ「実るほど頭が下がる稲穂かな」の句に当てはまるのではと思います。

愚禿鈔
親鸞の著作。浄土教の先徳の教えを通して、親鸞自身の信心の立場を明らかにした論書。

加藤 恵氏
真宗大谷派 光林寺住職(大分県)

九州教区ホームページ「今月の言葉」より
法話 2024 09