2024年水無月(6月)の言葉

仏教の教えについて

言の葉カード

 どんなことを学ぶ場合も、よい先生に出会うことが、大事なことでしょう。自分が知らないことでも、そのことをよく知っている先生に学ぶことを通して、だんだんと知っていくことができます。自分にとって「先生」と呼べるような人と出会い、その人のもとで「生徒」として学ぶ、そのことを師弟関係を結ぶと言います。
 師弟関係を通して学んでいくことは、お茶やお花などの習い事の道においても大切なことでしょう。自分の人生の道を学んでいくということにおいても極めて大切なことなのです。人生の道について、そのことを本当に知っている先生のもとで弟子として学んでいく、そんな師弟関係を仏教は大事な事柄として語っています。
 そのような師弟関係においては、先生はあくまで先生ですし、弟子はどこまでも弟子で、両者は一線を画するものです。そこに「教える」ということも「学ぶ」ということも成り立つのです。
 親鸞(1173~1262)の語りかけを通して、人生の大切な事柄に気付いていった人々が多く生まれました。『歎異抄(たんにしょう)』を著した唯円という人もその中の一人です。ですから、親鸞には「弟子」と呼んでもよいような人達が沢山いたわけです。それらの人達は、親鸞を仏教の「先生」として尊敬し、かつ慕っていました。
 それにもかかわらず、親鸞自身は、自分は弟子を一人も持っていません、と語っているのです。これは一体どういうことなのでしょうか。
 親鸞はその生涯において、力を尽くして、自身が仏教を学び続けていきました。そして同時に他の人に仏教を伝えていきました。しかし、そのように親鸞が学びかつ伝えていった仏教(浄土真宗)とは、自分の力によって信心を起こすものではありませんでした。また、自分の力によって他の人に信心を起こさせるというものでもなかったのです。
 信心(真実の目覚め)とは、真実である如来のはたらきによってこそ起こる。そして、その真実の如来の前では、誰であろうとも一人の人間(煩悩具足/ぼんのうぐそく(※)の凡夫/ぼんぶ)という以外の何者でもない。そういう仏教に親鸞は出会ったのです。だから、人間関係の上では先生と弟子であっても、如来の前では丸裸の人間同士なのです。
 そのような仏教に出会った親鸞は、自分は弟子を一人も持っていません、と言い切るのです。つまり、仏教を学んでいくうえにおいては、「先生」であろうが「弟子」であろうが、共に学び合っていく「友」(同朋/どうぼう)なのですよ、と親鸞は語っているのです。

煩悩具足
様々な煩悩をすべてそなえて生きていること。

『歎異抄』(唯円)

大谷大学HP「きょうのことば」1999年6月より
教え 2024 06

暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「終わったー、終わったー!」。男の子がそう呼びながら泣いています。この情景を今でも時々思い出すことがあります。北海道に仕事で出向いた折、夕方少し時間があったのでホテルの部屋でテレビを見ていたのです。3月の終わりで、ローカルニュースでは4月から新しい出発をする人を空港で送る様子がレポートされていました。
 東京の大学へ入ることになったお兄さんを、家族みんなで見送りに来ておられました。お兄さんを乗せた飛行機が飛び立った瞬間、高校一年の弟さんが「終わった」と泣き出したのです。これまで、兄弟一緒に家族と過ごす日常がありました。朝は一緒に学校に出かけ、帰れば皆がそろって食卓を囲む、平凡でも温かな家庭生活です。それがずっといつまでも続くように思っていたのです。
 でもお兄さんが大学に進学し家を離れることになりました。もちろんお盆やお正月には帰省するでしょうが、大学を終え都会で就職すれば、これまであったような日常は、もう二度と来ないのです。それで「終わったー」と声に出して歎(なげ)いたのです。その心の内がよくわかります。誰もが経験することだけに、その気持ちに胸うたれました。
 ずっとこの私が、この生活が続くように思っていますが、それは必ず終わったり変化していきます。私や生活だけでなく、自然も移り変わり、物も壊れていきます。常ならぬ今を私たちは生きています。それを仏教は「諸行無常(しょぎょうむじょう)」と表します。それは儚(はかな)く脆(もろ)いと歎くのではありません。ずっと続くように思っていた夢を脱して、二度とない〝今・ここ〟にしっかり立つという目覚めを表しているのです。

四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)

仏教語 2024 06

僧侶の法話

言の葉カード

 「人間は死を抱(いだ)いて生まれ、死をかかえて成長する」
 (『信國 淳選集』第六巻「第一部浄土」柏樹社)
 しかし、ともすると私たちはこの事実を見ようとしない。信國 淳(のぶくにあつし ※)先生はこの言葉について、「仏教では人間のことを「生死(しょうじ)するもの」と言っているが(中略)私どもの生きることそのこと自体が、(中略)一つの解決を要する課題として、私どもに与えられている」と表現している(同書より)。

 人間は、生を求める心で死を恐れ、若さを誇る心で老いを嫌い、罪なき清らかな自分を求める心で穢(けが)れた自分を憎んで生きている。その人間の不安、苦悩はどこで超えられるのか。
 信國先生は「真実の救い」は、「私どもが邪魔ものにする自分の存在の不安と、不安をなくそうとして迷うその迷いとをこそ当の縁として、私どもに私どもの外から来る」「音連(おとづ)れ」、「私自身に呼びかける言葉」である、と教えてくださっている。

 私が信國先生からの「音連れ」「呼びかける言葉」に出遇(あ)ったのは、今から五十年近く前のことである。汚れた醜(みにく)い自分をもてあまし、もう一度生きることを学びたいと、大谷専修学院に入学した。そこに70歳間近の信國先生がおられた。毎週一度の「歎異抄(たんにしょう)講義」は机を叩くように獅子吼(ししく)された。
 学院生活が終わろうとするレポート面接の場であった。学院では毎学期、自分の課題と学んだことを記し、先生方と面接する。私はその中で、「私のような自分だけのことしか考えないような者は、この場にいる資格がない」と語った。その時、「宮森君、君は自分さえ自分から締め出そうとするんだね。学院はそういう君も受け容(い)れるんだよ」と、先生はポツリと語られた。その言葉はいのちの底に響き、私は思わず声をあげて泣き出した。と同時に、宇宙よりも広い光り輝く世界、どんな者もそのまま受け容れ、そのまま愛する世界がある。その世界こそ本当に在る世界だと、体全体で感じていた。自分も生きていいのだと、初めて生きる希望と勇気が生まれてきた。そして、「ああ、親鸞聖人の念仏の教えとはこんなにも深いのか、一生かけて教えに学んでいきたい」と、新たな出発の時をいただいた。
 しかし、それは穢土(えど)ならぬ浄土という新たな世界の感得ではあったが、人生を生きる新たな自己は見えないままであった。私は、「人間の誠実さ」を唯一の拠(よ)り所として、人を傷つけた自分を責め、窒息しそうに生きていた。ある時、高史明(コ・サミョン)先生をとおして、「自分をギリギリ責めるのではない(そこには真実はない)。煩悩具足(ぼんのうぐそく ※)の凡夫(ぼんぶ)のままで(あなたがあなたのままで)生きていける一本道がある。念仏の一本道だ」という声が聞こえてきた。それはどんないのちも尊ぶ浄土から届けられた言葉であった。いのちを生きる一筋の道があると感得された。

信國淳
1904~1980。真宗大谷派の教育機関である大谷専修学院の元学院長。
煩悩具足
様々な煩悩をすべてそなえて生きていること。

宮森 忠利氏
小松大谷高等学校 元副校長

『今日のことば(2020年)』(東本願寺出版)より
法話 2024 06

著名人の言葉

言の葉カード

 私は「生きづらさ」ってなあに? ってタイプ。あまり気にしないというか。
 ただ、周りの人に“キラキラしてる”と見られるのは嫌ですね。見た目も年齢も性別も違うのが人なのに、特別視する必要ないですよ。だから、うまくやらなければいけないとか、上手に喋らなければいけないとか必要ないんですよ
 自分らしく生きたいのなら、“自分らしく”って考えないことだと思います。私にとっては、もうその概念がそもそもないんです。
 世の中、ほの暗い概念が多すぎませんか? “こうあるべき”みたいな。「自己肯定感は高くあるべきです」とかおかしいですよね。みんな高くても困りますよ、みんな出しゃばりになっちゃう。そうじゃない人もいるよね、それでいいんですよ。「私はそうじゃない」とハッキリと主張できる、かえってそれが自己肯定感ということにもなるんですよね。

カマたく氏
BAR「CRAZE」店員

「南御堂」新聞 2023年7月号(難波別院)より
著名人 2024 06