仏教の教えについて

言の葉カード

 この言葉は親鸞聖人がお亡くなりになる2、3年前にお弟子さんに対して「私はすっかり年老いてしまった為、きっとあなたよりも先に亡くなることでしょう。しかし、必ず浄土で待っています」とお話しになった言葉だと言われています。

 私の父は今年(2019年)亡くなりました。
 父が亡くなってから「大切な人を亡くすことはこんなにも辛いのか…。辛いというよりも胸がしめつけられるように苦しい…愛別離苦(あいべつりく)の苦とはその通りだな」と思いながら何気なく本をめくっていると、この言葉に目がいき手が止まりました。
 「待つ」という時には、その相手が「どうしているだろうか、もうすぐ来るだろうか」などと相手のことを考えると思います。きっと父も私のことを念じながら待ってくれているのではないかと思うと何だか胸が熱くなりました。
 それと同時に、私を思い待ってくれている人がいるならば、そのことに感謝し、「これからどう生きていくのか、生ききったと思える人生を送りたい」と思いました。

 ともに浄土の再会をうたがいなしと期(ご)すとも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫(ぼんぶ)として、なんぞこれなからん。(『真宗聖典』〔二〕817頁〔初〕670頁)

 ともに浄土でまた必ず再会できると期待しても、遅れ先立つしばしの別れへの悲しみに苦しむのが我々迷える凡夫の姿であると「口伝鈔(くでんしょう ※)」の中で言われています。
 しかし、呼びかけ働きかけながら、必ずまたあえると待ってくれている人がいることの有難さ。
 「かならず、かならず」と誓われる力強さに喜びを感じ、では「どう今を生きていくのか」と問われてくる言葉だと感じます。

口伝鈔
親鸞のひ孫にあたる覚如(かくにょ)が、親鸞の孫である如信(にょしん)より口授された親鸞の言葉やエピソードを記したもの。
末燈鈔
親鸞が書いた手紙類をまとめたもの。表題の言葉は最晩年の親鸞が、弟子に向けて書いた内容の一節。

『末燈鈔(まっとうしょう ※)』(親鸞)

林田 真貴子氏
真宗大谷派 安照寺(福岡県)
九州教区ホームページ「今月の言葉」より
教え 2024 07