僧侶の法話

言の葉カード

 この「何を求めて生きていますか?」というその問いに向き合ってきた、私はそれが浄土真宗の歴史だと思います。そして、その何を求めている、この「何か」ってことがわかっていることが、実は生きる意味がそこに明らかになってくるということではないかなと思います。その何かがわからなければ、生きていたとしても生きたという実感が持てない。死んでも死にきれないということになってしまうのではないかと思います。
 死という現場において私たちがお経をいただくわけです。ですからお経は死者にむけて勤(つと)められているわけじゃないのです。死を縁として、死を身の事実として生きている私たちがそのお経の言葉に呼びかけられているわけです。言葉は聞くためにあるのです。伝えたいためにあるということです。

海 法龍氏
真宗大谷派 長願寺住職(神奈川県)

札幌市での講演会講義録「何を求めて生きていますか」より
法話 2018 05