暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 現代語の「邪魔」は「さまたげ。障害」などの意味ですが、仏教語としては「仏道修行をさまたげるよこしまな悪魔」を意味します。お釈迦さまが覚(さと)りを開く前に、「降魔(ごうま/魔を降伏させる)」がありました。悪魔がお釈迦さまに、いろいろな誘惑を仕掛け、覚りを邪魔しました。お釈迦さまが「降魔」されたのは、悪魔を敵として退治したのではありません。「魔の正体を見破られた」のです。魔の正体を見破れば、魔は魔のはたらきを失い、逆に仏道の助けとなります。お釈迦さまは、魔を向こうにいるものではなく、自分のこころが投影した幻だったと覚られたのです。

 「魔」の意味は多岐にわたりますが、「煩悩(ぼんのう)」と同じ意味でも使われます。ところが、親鸞は「正信偈(しょうしんげ ※)」で「不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)」(煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり)」と述べています。「煩悩」を、つまり「魔」を断ち切ることなく覚りを得るというのです。これが先程述べました、「魔の正体を見破る」という意味です。私を苦しめるものは、外に存在する悪魔ではなく、魔を恐れるこころが生みだした幻影だと覚ったのです。
 そうなると、いくら魔が襲ってきても大丈夫です。もう魔が害敵としてのはたらきを失い、逆に、「魔を恐れる煩悩」をあぶり出してくれます。実は、煩悩を起こすのも自力ではできません。阿弥陀(あみだ)さんのお手回し抜きにして、煩悩ひとつも自分の意志で起こすことはできません。そうなると煩悩(魔)が起こるたびに、阿弥陀さんのはたらきを感じ取ることができます。煩悩は喜ばしいものではありませんが、私に〈真宗〉を教えて下さるために、なくてはならない大切な教材だったのです。

正信偈
正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)。真宗門徒が朝夕お勤めする親鸞が書き記した漢文の詩。

武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)

仏教語 2022 01