四月八日はお釈迦さまのお誕生日・花まつりです。全国各地のお寺や、仏さまの教えをいただく学校などでは、お釈迦さまの誕生された姿・誕生仏に甘茶をかけたり、白い象をひっぱったりと、お釈迦さまの誕生をお祝いする行事が行われます。
日本では、桜の花が咲く季節と時を同じくして、花まつりの季節がやってきます。桜の花の美しさは、あっという間にその花びらが散ってゆくその儚(はかな)さと相まって、私の心に響いてきます。
「散る桜 残る桜も 散る桜」。これは、江戸時代の僧侶・良寛さんが遺された句です。「散る桜 残る桜も 散る桜」、一見華やかな春の季節にあって、自分自身の命を桜の花の儚さに重ねる、見事な句です。
花まつりはお釈迦さまの「誕生」をお祝いする行事ですが、仏さまの教えに照らされてみると、人間の誕生は生まれた瞬間から、死を背負っています。桜の花が、咲いた瞬間から、やがて散りゆく命を生きているのと同じです。
生まれた瞬間から、私たちは「老病死」という現実を背負って生きていくことになります。生まれた瞬間から、老いつつある身を、縁が催せば病を生じる身を、そしてどんな人であっても、一切の人びとが、やがて命を終えていかなければならない、「この身」を生かされています。
花まつりといえば、子どもたちのための行事だと思われがちですが、この「生死一如(しょうじいちにょ)」の人間の身の事実を、お釈迦さまの誕生をとおして教えられる花まつりは、老いも若きも関係なく、私が「人と生まれた」ことを確かめる、そういった機縁なんでしょう。
松田 亜世氏
真宗大谷派 企画調整局参事
「いま、あなたに届けたい法話Ⅰ」(しんらん交流館)より
法話 2021 04