僧侶の法話

言の葉カード

 相田みつをさんの「おまえさんな いま一体何が一番欲しい あれもこれもじゃだめだよいのちがけでほしいものを ただ一ツに的をしぼって言ってみな(※)」と問うてくる詩があります。皆さんはいかがでしょうか。命がけで欲しい、これがあったら他に何もいらないというものやこと。
 私は以前、「やりがい」と「生きがい」ということを教えて頂きました。「やりがい」というのは目的を果たしたら一旦そこで終わってしまいます。それは果たして「生きがい」といえるのでしょうか。「やりがい」は次々変わりますが、「生きがい」は早々変わるものではない。もっと言えば変わらない、変わりようがないことが「生きがい」ということではないでしょうか。
 私たちの宗旨は浄土真宗です。「浄土」とは本願(ほんがん ※)が形をとった土であり、土ということは場所という事です。本願は仏さまが衆生(しゅじょう ※)を救わんと思う本当の願い。「真」とはまこと、つまり変わらないということ。それから「宗」ということはよりどころ。浄土真宗とは、「浄土が真の宗であり、浄土こそ私の真の宗である」ということです。
 あれやこれやの願いが叶うこと、状況が好転すること、それが果たして本当に助かるということなのでしょうか。浄土真宗に限らず、宗教心ということがどういうことからくるのかというと、私は助かりたいというところから起こってくるのが宗教心であると思います。
 清沢満之(きよざわまんし ※)という先生は、「人心の至奥(しおう)より出(い)づる至盛(しじょう)の要求の為に宗教あるなり」とおさえられました。人の心の最も奥底から突き上げてくる、とめどなく起こってくる要求ということです。命の底から湧き上がってくる本当の要求ということでしょう。それを問い、答えるために宗教がある。この言葉は、そういうことを教えて頂いてるのだと思います。助かるというのは、物事を好転させたり、処方箋を出す対症療法のことではないということです。
 相田みつをさんが言われた「命がけで欲しいもの」とは、「至奥より出づる至盛の要求」である。こういうことなのではないでしょうか。

※『ある日自分へ』Ⓒ相田みつを美術館

本願
全ての生きとし生けるものを救いたいと発された阿弥陀仏の願い
衆生
生きとし生けるもの
清沢満之(1863~1903)
明治期の哲学者、宗教者。真宗大谷派僧侶。

松永 光司氏
真宗大谷派 信光寺住職(東京都)

真宗会館「日曜礼拝」より
法話 2019 06