著名人の言葉

言の葉カード

 身内や知り合いなど、大切な人を亡くして今年が初盆の方もいらっしゃるかと思います。誰しも命を終える日が必ずやってくるということは頭ではわかっているはずなのに、自分のことや近しい人にその事実が迫ってくると、やはり目を背けたくなってしまいます。誰だって悲しいことには出会いたくないですから。
 誰かを亡くすという事実だけが私の身にふりかかった時、癒えることのない悲しみや喪失感を抱えながら生活を送っている方は少なくないはずです。「もっと何かしてあげられたのでは…」という後悔から、供養を重ねたり成仏するよう亡き人を案じたりせずにいられない方もいらっしゃるでしょう。
 大切な人の死の事実が、私に何を問いかけているのか。この言葉の持つ意味は、他人事であった死の事実を、自分は引き受けたくないという単なるエゴではないはずです。裏を返せば、今まで遠ざけてきたことが、実は私の身の事実でもあったということ。そのことを、尊い命をもって教えてくれた人は誰なのか…。
 命の歴史をさかのぼれば、ご先祖の命のバトンを受けて今を生きているのが「私」です。お盆は静かに手を合わせ、亡き人から案ぜられていたことに触れる大切な機会なのです。

蜀山人/大田南畝(しょくさんじん/おおたなんぽ)

狂歌師(日本)
著名人 2019 08