2018年卯月(4月)の言葉

仏教の教えについて

言の葉カード

 仏教では、生きとし生けるものは、輪廻流転(りんねるてん)、すなわち生と死を繰り返して止まない迷いの境涯(きょうがい)に置かれているとされています。しかし、釈尊(しゃくそん ※)は世に出て、そうした迷いの世界を超えた、完全な安らぎの境地の存在と、そこに至る道とを示されました。そうした境地が、ここでは「不死の境地」と呼ばれているのです。それは自と他、苦と楽、善と悪といった相対性を超えた世界です。つまり逆説的なことですが、自分を含めた現世的なものを完全に超越した、絶対的世界(あるいは存在)を理解し、それにつながることによって、現世での自分の生もはじめて意味をもつことをこの言葉は示しています。
 私たちにとって、毎日を一生懸命に生きることはもちろん大切です。しかし仏教が強調するように、この世のすべては移ろい、やがて滅びます。それにもかかわらず、その幻のような現世の生が意味あるものとなり得るのは、実は現世を超えた不滅のものが、いままさに私たちを照らしているからに他なりません。現代の我々はつい目の前のことばかりに気を取られがちですが、一方で、生きる意味を見失い悩んでいる人も少なくありません。日常生活のなかで、時には忙しい手を止めて、私たちの生を意味づけてくれるものに心を傾けることが大切なのではないでしょうか。

釈尊
お釈迦さま

『ダンマパダ』(原始仏典)

大谷大学HP「きょうのことば」(2012年7月)より
教え 2018 04

暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 玄関のない家はないでしょう。玄関はどのお宅にもあります。しかし、「玄関」は元々仏教語だったのです。もとの意味は「玄妙(げんみょう ※)な道に入る関門」です。つまり悟りへの関門ということです。
 玄関は内と外を分ける扉です。外へ出ていくところであり、外から内へ入るところです。出ることと入ることの両方を成り立たせる場所が玄関なのでしょう。出るだけの玄関もありませんし、入るだけの玄関もありません。入と出を共に成り立たせることが「玄関」のはたらきなのです。
 親鸞聖人の著書に『入出二門偈頌文(にゅうしゅつにもんげじゅもん)』があります。"入門と出門の二つのうた"と読めます。しかし、これは「入る門」と「出る門」の二つの門があるということではないように思います。むしろ、ひとつの門に二つのはたらきがあるといっているのでしょう。つまり「浄土へ入るはたらき」と「浄土から出るはたらき」の二つです。
 そういえば、「この世」を超え出る宗教はたくさんありますね。「この世」を超え出て「あの世」なる世界へ行く。しかし「あの世」で止まってしまいます。もう一度「あの世」を超えるという課題が残ります。『ブッダのことば』(※)には「をともに捨てる。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるようなものである」と繰り返し語られています。「をともに捨てる」という<永遠の課題>が大切に思われます。

玄妙
道理や技芸などが奥深く微妙なこと。
趣が深くすぐれていること。
出典『ブッダのことば-スッタニパータ』
中村元訳 岩波文庫

武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)

月刊『同朋』2001年4月号より
仏教語 2018 04

僧侶の法話

言の葉カード

 かつて信國淳(のぶくにあつし ※)という先生が「わかってもわからんでもいいから、お念仏(ねんぶつ)申しなさい。そしてお念仏によって育てられなさい」とおっしゃいました。人間というのは仏さまのはたらきによって、また如来(にょらい…「阿弥陀如来」)によってお育てに預かることが大事だと。では、育てられるとはどういった意味なのでしょうか。仏教を学んで賢い人間になる、知識や教養に溢れた人間になる、立派な人間になっていく、もう少し優しい心を持つような人になっていく、となるように育てられるという意味なんでしょうか。
 育てられるということは、如来の問いかけを聞く者となっていくこと。日々起こる事象、事柄を通して、「あなた自身どういう人間として生きていますか」。あるいは「煩悩具足(ぼんのうぐそく)であるあなた自身に帰っていますか」という問いかけをきちんといただくということが、お育てに預かるとか念仏に育てられるという意味なのではないかと思うのです。決して誰にも負けないような人間になっていくことが仏法(ぶっぽう)を聞くことの意義ではないのです。

信國淳
1904~1980。元大谷専修学院院長、大分県來覺寺前住職。

中野 誠二氏
真宗大谷派 大昭寺住職(北海道)

真宗会館「日曜礼拝」より
法話 2018 04

著名人の言葉

言の葉カード

 大間(おおま)のマグロ釣っているおやじは、大間で釣っているあの糸から世界を見ている。カツオ節を作っている職人はカツオ節からやっぱり世界を見ているんですよ。だから世の中の人をナメちゃダメ。とにかく人間が面白いと思わなかったら役者なんてできません。
 人間ほど面白いものはない。デパートの店員さんだって今日はどんなお客さんが来るかしらって思う。ラーメン屋のおやじ、今日はどんなお客が食いにくるか。それはやっぱり人間ですよ。食っている姿見て、うまそうに食っているなとかね。人間というものに興味をいだかなかったら、この地球上で面白みはないと思うな

六平 直政(俳優)

「サンガ」No.122より
著名人 2018 04