

「おまんは誰じゃ! どういてここにおるがじゃ」(NHKの朝ドラ「らんまん」の槙野万太郎の名ゼリフ)。突然、大きな窓ガラスの外側にピタッとくっ付いているカメムシが目に飛び込んできた。
ここは、都内大学病院の病棟19階の病室の窓だ。思わず、そう叫んでいたのは私だ。
眼下には、ミニカーのような車たちが交差点に行儀よく並んでいるのが見える。「ここの高さは、鳥たちの領域ではないの?」と、カメムシに問いかけた。
8階にある屋上庭園に足を運ぶのが唯一の楽しみ。常緑樹に加え、萩(ハギ)や野牡丹(ノボタン)、紫式部(ムラサキシキブ)など、秋の草花が植えられ、車いすに乗った患者や、リハビリ中の人たちが気分転換をするオアシスだった。
曲がりくねった散歩道を一周すると、ベンチがあり、そこに腰を掛け、しばらく色とりどりの草花を眺めていると、日々の治療の辛さも慰められた。座った後ろの下草の中に、思わず声をあげたくなるくらいの小さな、小さな花が一輪咲いていた。それも5ミリくらいの黄色い花。それはカタバミの花だった。黄色でパッと開いた5枚の花弁は、まるで金バッチのように輝いて見えた。
「そのままでいい。そのままが私なのだから」と言われた気がした。ただそこにいる、それ以上でもなく、それ以下でもない。そのことがなんと尊いことか。私は何になろうとしていたのだろう。
「おまんは誰じゃ?」。カメムシへの問いかけが、実はカメムシから自分自身に向けられた問いだった。
明日はもうここにいないかもしれないカタバミの花は、「そのままがおまえじゃ」というコトバとなった。
阿弥陀(あみだ)さんは七変化。カメムシにもなれば、カタバミの花にもなって、わたしの今を教えて下さった。崖っぷちに立たされていると思っていたが、足はすでに歩んでいた。カタバミの花も私も地続きであることを教えてもらった。
武田 美輪氏
真宗大谷派 因速寺(東京都)
真宗会館ホームページ
真宗会館広報誌『サンガ』189号より
仏教語 2025 05