暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 お経には「不可思議」という言葉がよく出てきます。「不思議」も同じで、「可」を省いた省略形です。どちらも仏様の功徳(くどく)やはたらきを修飾する言葉で、私たち人間の計算や考えが及ばない、超えているという意味です。注意しなければならないのは、幻想的で魔法のようなという意味ではないことです。

 東日本大震災の後、関東での法座(※)に伺った折の、一人の女性の感話が今も忘れられません。地震が収まった後、コンビニに出かけると、食料と飲み物を求め、みんな持てるだけの品物を抱えてレジに並んでいたのです。その中に小学校に入る年ごろの男の子が、おやつを買うためにお菓子を一つ持ってならんでいたのだそうです。そしてその子の番になった時、その子は、レジの横に置かれた震災への支援の募金箱を見ると、握りしめたおこずかいを募金箱に入れ、持っていたお菓子を棚に返してコンビニを出て行ったそうです。
 その時、レジに血走った眼をして並んでいたおとなの誰もが、ハッとした顔をしたのです。その女性は、急に恥ずかしくなったと語られました。
 私たちは、我さきになって、被災者を置き去りにしてしまうものを持っています。でもその姿の愚かさに気づいて、それを恥じるものも持っているのです。自分でその自分に気づくことはできませんが、あの男の子の行為のように、気づかせてくれるものがあります。それが人間の思いを超えた不可思議です。

法座
お寺などに集まり、お話を聞くこと。

四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)

仏教語 2024 07