2024年文月(7月)の言葉

仏教の教えについて

言の葉カード

 この言葉は親鸞聖人がお亡くなりになる2、3年前にお弟子さんに対して「私はすっかり年老いてしまった為、きっとあなたよりも先に亡くなることでしょう。しかし、必ず浄土で待っています」とお話しになった言葉だと言われています。

 私の父は今年(2019年)亡くなりました。
 父が亡くなってから「大切な人を亡くすことはこんなにも辛いのか…。辛いというよりも胸がしめつけられるように苦しい…愛別離苦(あいべつりく)の苦とはその通りだな」と思いながら何気なく本をめくっていると、この言葉に目がいき手が止まりました。
 「待つ」という時には、その相手が「どうしているだろうか、もうすぐ来るだろうか」などと相手のことを考えると思います。きっと父も私のことを念じながら待ってくれているのではないかと思うと何だか胸が熱くなりました。
 それと同時に、私を思い待ってくれている人がいるならば、そのことに感謝し、「これからどう生きていくのか、生ききったと思える人生を送りたい」と思いました。

 ともに浄土の再会をうたがいなしと期(ご)すとも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫(ぼんぶ)として、なんぞこれなからん。(『真宗聖典』〔二〕817頁〔初〕670頁)

 ともに浄土でまた必ず再会できると期待しても、遅れ先立つしばしの別れへの悲しみに苦しむのが我々迷える凡夫の姿であると「口伝鈔(くでんしょう ※)」の中で言われています。
 しかし、呼びかけ働きかけながら、必ずまたあえると待ってくれている人がいることの有難さ。
 「かならず、かならず」と誓われる力強さに喜びを感じ、では「どう今を生きていくのか」と問われてくる言葉だと感じます。

口伝鈔
親鸞のひ孫にあたる覚如(かくにょ)が、親鸞の孫である如信(にょしん)より口授された親鸞の言葉やエピソードを記したもの。
末燈鈔
親鸞が書いた手紙類をまとめたもの。表題の言葉は最晩年の親鸞が、弟子に向けて書いた内容の一節。

『末燈鈔(まっとうしょう ※)』(親鸞)

林田 真貴子氏
真宗大谷派 安照寺(福岡県)
九州教区ホームページ「今月の言葉」より
教え 2024 07

暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 お経には「不可思議」という言葉がよく出てきます。「不思議」も同じで、「可」を省いた省略形です。どちらも仏様の功徳(くどく)やはたらきを修飾する言葉で、私たち人間の計算や考えが及ばない、超えているという意味です。注意しなければならないのは、幻想的で魔法のようなという意味ではないことです。

 東日本大震災の後、関東での法座(※)に伺った折の、一人の女性の感話が今も忘れられません。地震が収まった後、コンビニに出かけると、食料と飲み物を求め、みんな持てるだけの品物を抱えてレジに並んでいたのです。その中に小学校に入る年ごろの男の子が、おやつを買うためにお菓子を一つ持ってならんでいたのだそうです。そしてその子の番になった時、その子は、レジの横に置かれた震災への支援の募金箱を見ると、握りしめたおこずかいを募金箱に入れ、持っていたお菓子を棚に返してコンビニを出て行ったそうです。
 その時、レジに血走った眼をして並んでいたおとなの誰もが、ハッとした顔をしたのです。その女性は、急に恥ずかしくなったと語られました。
 私たちは、我さきになって、被災者を置き去りにしてしまうものを持っています。でもその姿の愚かさに気づいて、それを恥じるものも持っているのです。自分でその自分に気づくことはできませんが、あの男の子の行為のように、気づかせてくれるものがあります。それが人間の思いを超えた不可思議です。

法座
お寺などに集まり、お話を聞くこと。

四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)

仏教語 2024 07

僧侶の法話

言の葉カード

 「無明(むみょう)とは何も分からないことではない
  すべて分かったつもりになっている心のことです」(宮城 顗)

 人は、子どもから大人になるその過程で、多くの経験を積み、また知識を身につけることで、より豊かで広々とした世界を生きられるようになるはずである。こうした考え方が、かつて若かりし頃の私自身には、ひとつの疑いようのない常識として映っていました。
 しかし、経験や知識の多寡と人生の厚みや深さが、比例の関係にあると見るのは、いささか短絡的かもしれません。むしろ経験や知識に縛られ、いよいよ世界を狭くしていくというのが、私たちの事実です。上の「無明」というのは、そうした人間の昏(くら)さを指す言葉ですが、経験や知識が乏しいからではなく、却って身に付ければこそ昏いのです。
 無明を知る手がかりとして、柳田邦男氏の『人の痛みを感じる国家』という本の中で取り上げられていた、ある母親の書いたエッセーの内容を少し紹介させていただきます。
 それは軽度の知的障害を抱える子の母親から寄せられたものですが、その母子がある病院の診察室で医師と向き合ってやりとりをする場面が描写されています。その子は小学校への進学を控える年齢ですが、進学に先立って知能テストを受けるよう公的機関から言われ、母親に付き添われて病院へ赴きます。診察室では医師から子へ質問が向けられますが、その中のひとつに次のようなものがあったそうです。

 「おとうさんは、おとこです。それでは、おかあさんは」

 私たちの常識、すなわち知識の世界では、その答えは「おんな」となります。もしそれ以外の答えを言えば、この子はどこか普通ではないと烙印(らくいん)を押されることになりますが、もうお分かりのように、その子は「おんな」とは答えなかったそうです。その代わりに、「おかあさんは、だいすきです」と、答えたのです。もちろん医師の質問の文脈からは逸脱していますが、母親を「だいすき」と表現したことを、一体誰が誤りだと言えるでしょうか。
 その子にとっては、母が女性か男性かという知識の面は、もはや問題ですらなく、母の存在の大きさ、広さ、あるいは深さは、「だいすき」の一言で十分に言い尽くされているのでしょう。自らにとって寄る辺となる母の温もりは、器用に言葉を並べて説明したところで遠く及ばないことです。
 私たちは知識や説明で物事の本質を捉えられると自明のごとく考えますが、そう信じて疑わない私たちの相こそ、無明という言葉で古くから言われてきたのでしょう。今日のことを思えば、スマートフォンで即座に多くのことを知ることができる時代になりました。しかし、私たちが生きる上で本当に大切なことは、調べて分かるようなことよりも、調べても分からないことの中にあるのかもしれません。

大中臣 冬樹氏
真宗大谷派 勝福寺住職(富山県)

真宗会館広報誌『サンガ』182号より
法話 2024 07

著名人の言葉

言の葉カード

 15歳のとき、母方の祖父が震災直後の神戸に連れて行ってくれたことが作曲のきっかけになりました。不登校児で将来が見えなくなっていた僕に、何かを伝えたかったのかもしれません。崩壊した神戸の街で大きなショックを受け、帰宅してから急に自作の歌を作るようになり、現在に至ります。
 祖父は南方戦線で九死に一生を得た後、小学校の教員になったのですが、当時は差別が今以上に激しく、知的障害を抱えた生徒を、級友や教師までもが「出来損ない」と呼んで、人間扱いしていない状況があったそうです。祖父はそれに抗議して学校の職を辞し、苦労を重ねて知的障害の方を対象とした学校を作りました。そういう反骨精神はどこか親鸞にも通じるでしょう?
 20代の初め頃、仏教に関心があって少し勉強しただけなので大したことは言えないのですが、祖父は障害を抱えた子供たちに内在する輝きに気づき、戦後の豊かさを無自覚に享受している人々とはちがう力をもっていると感じていたようです。それは選ばれた人間だけが覚(さと)りを得るのではなく、世の中では力がないと見なされている者こそ仏に近いんじゃないか、という親鸞の考え方に通じるように思います。
 親鸞が生きたのは戦乱や飢饉(ききん)が続く苦境の時代なので、選民のみが救われる高度な宗教哲学だけでは間に合わない。学びの機会を与えられず文字が読めない最下層の人々に対して「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)ってこれだけ言えるかい?
大丈夫だよ。ちゃんと浄土に生まれるから」と手を差し伸べたのは、とてもラディカルですよね。心身共にぼろぼろだった20代の自分にはすごく響きました。南無阿弥陀仏の6文字って、いわば世界で一番短い歌、ポップスだな、と。

 僕の曲には実在のモデル、明確に歌いかける対象がいる場合がほとんど。思い浮かべる顔がないと、本当の意味で心を込めて歌えないです。
 机上の観念を弄(ろう)して政治的スローガンを歌いたいわけじゃない。むしろ政治的な差配から取りこぼされ、一人きりで苦しんでいる方々を想像しながら音楽をつくりたいです。まだ小説にも映画にもなっていない、軽視され、表現の俎上(そじょう)にもあげられない人々を主人公にして、歌のなかでは不公平な現実を逆転させたい。何もかも満ち足りた人々の享楽のためだけに音楽などの文化があるのではなく、何もかもが欠乏し、不毛とされる場所にこそ、新たな文化の芽があると思います。

七尾 旅人氏
シンガーソングライター

月刊『同朋』2024年2月号(東本願寺出版)より
著名人 2024 07