暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 仏教が教える「縁起」は、縁によって生起(せいき)するということです。私自身も物事も全て、原因がいろいろな条件が縁(よ)り集まった結果として在るということです。例えば種という因があっても、それがそのまま花になるのではありません。土や空気や太陽の光や水など様々に条件が整って花は咲くのです。また育つ途中で鳥や虫に食べられることなく、病気に侵されなかったことも重要な縁です。今朝咲いた花もそういう条件の総体の結果です。
 さらに種も何の背景もなく忽然(こつぜん)と種があるわけではありません。種になる前の花、その花になる前に種と、ずっと花の命が受伝えられた縁があって種になっているのです。その永い命のつながりも大切な縁です。
 ですから私自身も、さまざまな縁が縁り起こって今ここにあるのです。ですから縁がそのまま私自身なのです。しかし私たちは、先ず「私があって、縁がある」と考えるのです。本来一つなのに、私と縁を二つに分けて考えます。さらに縁も良い縁と悪い縁があると二つに分けて考えます。そして良い縁を集めて、悪い縁を避けて、自分が望むことを実現したいと考えます。
 それで、どうすれば良い縁を集められるか、悪い縁がどこからいつごろやって来るかを知りたくて、占いを頼み、ジンクスをかついだりすることになります。
 しかしこれは、縁を自身として生きているのに、自分の都合で縁を操り、思い通りに生きられるという誤った錯覚です。その誤りに気づき、事実に立たせる教えが「縁起」の教えです。

四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)

仏教語 2024 08