2018年弥生(3月)の言葉

仏教の教えについて

言の葉カード

 物語のなかに、国王の息子として生まれた青年ゴータマ(※)が宮殿の外に出たときに、老人や病人や死人、そして沙門(しゃもん)<求道者>の姿を見るという場面が描かれています。いわゆる四門出遊(しもんしゅつゆう)の物語です。そのなかで、ゴータマは病人の姿に接し、これまで見たことのないその様子に驚き、そばに仕える御者(ぎょしゃ)に、あの者は誰か、と尋ねます。御者は、かつては壮健だったにもかかわらず、いまは身体の自由がきかなくなり、あのような姿をしているのは、病という大きな不幸のせいなのだ、と答えます。すると、ゴータマは「病の恐れは生きものにおしなべてあるのか」と、この言葉を御者に投げかけます。御者はこう返答します。これは人に共通のものだと。そして、人は病におしつぶされ苦痛にあえぐということがあるのに、一方では平気でいて人生を楽しむのだと。
 私たちの日常には「今を楽しもう」という言葉があふれています。それは楽しめないような状況があることの裏返しでもありましょう。楽しむことは人をいきいきとさせる原動力そのものですが、楽しむことで覆(おお)い隠されてしまうものを、楽しむという態度からすくいとられずこぼれ落ちてしまうものを、ゴータマは見つめようとしたと言えます。この言葉には、苦悩に直面してもなお刹那(せつな)的な楽しみを生きる拠り所にするのか、という問いかけが暗示されています。だからこそ、次に私たちはこう問わなければならないでしょう。では、私は何を拠り所にして生きていくべきなのでしょうかと。仏陀(ぶっだ ※)の意味を問うてきた人たちにとって、最も大切で根本的な問いがここにあるのです。

ゴータマ
お釈迦さまの青年時代の名前
仏陀
ブッダ。お釈迦さまのこと

『ブッダチャリタ』(原始仏典)

大谷大学HP「きょうのことば」(2014年9月)より
教え 2018 03

暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 どう見てもこれは、「かいらく」としか読めない。ついついエッチなことを想像してしまいます。しかし仏典では「快楽(けらく)」と読みます。辞書には、「安楽。永遠のたのしみ。浄土のたのしみ」などとあります。また『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう ※)』には「すでに我が国に到(いた)りて、快楽安穏(けらくあんのん)ならん」と記されています。
先日、お葬式で亡くなられた方のお顔を拝見しました。すると実に安らかな寝顔のようなお顔でした。私は、これが本当の安楽かもしれないと感じました。なぜなら、もう二度と起きなくてよい、働かなくてよい、食べなくてよい、争わなくてよい、病院に行かなくてよい、勉強をしなくてよいのですから。この世の楽には、やはり限りがあります。食欲や性欲や物欲には限界があります。眠っているときでも内臓や意識は動いていますから、どこかに緊張があります。
 やっぱり本当の意味の「楽」とは、この世を超越していくところにあるようです。私たちは「一寸先は闇だ」といいます。つまり、「一寸先は死」だと。しかし、一寸先にこの世を超越できる出口があるということは幸せでしょう。一寸先に安楽への出口があるからこそ、この世を生きてみようかという意欲も湧(わ)いてきます。もしこの娑婆(しゃば ※)=俗世(ぞくせ)の生活に終わりがなく、永遠に続くことを考えるならばゾッとしますね

『仏説無量寿経』
経典(お経)のひとつ。
娑婆
人間の住む世界。この世のこと。

武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)

月刊『同朋』2001年1月号より
仏教語 2018 03

僧侶の法話

言の葉カード

 今、私のお寺に、ある法語(仏教の言葉)を掲示しています。『一人でいると孤独感、二人でいると劣等感、三人でいると疎外感』というものです。他のお寺さんに掲示されていたものに、私のお寺では文末に「あなたはあなたのままがいい」と付け加えました。「孤独感、劣等感、疎外感」は人間の現実の問題です。「あなたはあなたのままがいい」は仏さまの言葉になります。日常会話では「あなたはあなたのままでいい」ですが、仏さまは「あなたはあなたのままがいい」と願われました。皆それぞれに光っているのだということ。しかし、私たちはそのことがわからない。五濁(ごじょく ※)という言葉で表現されるように私たちは濁りのなかにいるために眼差しが曇っているからかもしれません。
 お念仏(ねんぶつ)は、阿弥陀(あみだ)さまからの願いなのです。仏さまから頂いたものに対する“ありがとう”の表現がお念仏なのです。2500年前のお釈迦さまの時代から、親鸞聖人が生きた時代、そして今を生きている私のところまでお経の言葉が伝えられたように、生きることに対する人間の根本課題が伝えられているのでしょう。仏さまの願いに触れ、生き方を問い直して、揺らぐ自分、根のない自分を受け止めていきたいものです。

五濁
娑婆世界(現世)において私たちを覆(おお)う五つの濁りのこと。

藤場 芳子氏
真宗大谷派 常讃寺副住職(石川県)

真宗会館「お彼岸法要」より
法話 2018 03

著名人の言葉

言の葉カード

 この社会は強者の世界。お金もうけがうまいとか、体が強いとか、能力のある人に自由競争させて、そういう人の尺度で社会をつくろうとしている。
 文学って弱い言葉なんです。弱いから必要なんです。強いことを言わないでしょう。おれはだめだというのが文学の言葉ですね。でも、そういう弱くて、かすかで、耳を澄ませないと聞こえない言葉が長期間で考えると、社会を住みやすいものにすると思います。強いもの中心は、つまり単一構造。弱い人と交わって複雑なほうが、社会はしなやかさを持っているんです。

高橋 源一郎(作家)

「サンガ」No.128より
著名人 2018 03