2022年霜月(11月)の言葉

仏教の教えについて

言の葉カード

 行信の獲得(※)について、親鸞聖人は「遠く宿縁(しゅくえん)を慶べ」と言われている。縁とは、原因が結果を生むためのはたらきをするものである。宿縁は、遠い過去からの様々なはたらきがあることを表している。念仏もうすには、阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(※)や、その本願を源として流れだした念仏の法灯を伝える歴史など、はるか昔からの縁がある。「遠く宿縁」とは、私たちの思いや考えもおよばないほどはるか昔からの、多くの人々の思いや願いがつながってきたことを示唆しているのである。このような宿縁によって獲るにもかかわらず、私は己のはからいしか見ていなかった。

 毎日の生活の中でもうしている念仏の一声一声の背景には、師、同朋(どうぼう)、家族、先祖などの縁がはたらいていることが知らされる。しかし、縁とは自分にとって都合のよいものばかりではない。都合の悪いことをもまた含んでいるのである。念仏の救いには思いもおよばないほど広大な縁がはたらいていることを、親鸞聖人は「遠く宿縁を慶べ」と呼びかけてくだされたのであった。それは、善し悪しではからう、私の分別が破れたところに起こる慶びなのである。

 私は、ものを持っているから、勝(すぐ)れているからなどの、付加したものに存在の意義を見がちであった。しかし、いのちがあることに、何らかの価値を付け加える必要はなかったのである。
 現に私が生きているということ、そこに不可思議の縁がある。そのことが見えなくなっているから孤独を感じたり、生きづらくなっていたのであった。生きるということの背景には様々なご縁がある。本願を信じ念仏もうす身にさせていただいた事実について、「遠く宿縁を慶べ」と言われたことは、生きていること自体がよろこびであり、いのちは無条件に尊いことを教えていただいているのである。

「行信を獲る」
念仏と、そのいわれである本願の信を獲ること
本願
全ての生きとし生けるものを救いたいと発された阿弥陀仏の願い

『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』親鸞

武田 未来雄氏
真宗大谷派 教学研究所所員
『真宗』(東本願寺出版)「教研だより」178号より
教え 2022 11

暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「不思議」とは「よく考えても原因・理由がわからないこと、また解釈がつかないこと。あやしいこと」などと辞書にあります。だから「不思議」という言葉は「宗教」と結びつきやすいのでしょう。「不思議な奇蹟を信じるのが宗教だ」と言われれば、そうかなぁと思ってしまいます。しかし、親鸞の言う「不思議」は、明確な自覚を表します。訳の分からないことを信ずるものではありません。自分にとって一番身近な自分が、自分自身にまで成ってきたいのちの成り立ちを考えれば、まさに「不思議」と驚嘆するしかありません。

 私はなぜ「人間」として生まれたのでしょうか。そう問われても、答えることができません。人間が男女という両親から生まれるものならば、親は二人、祖父母は四人、曾祖父母は八人です。さらに遡っていけば、先祖は倍々に増えていき、三十代前の先祖の数は、なんと、十億七千三百七十万人にもなります。「十億七千三百七十万人」と、一口に言っても、そこには様々な人々の出会いがあり、それぞれの人生があったことでしょう。もし、この十億七千三百七十万人の中の一人でも、この世に存在しなければ、私は、いまここに居ないのです。そう考えると、自分という存在の不思議さに驚きます。自分は、まさに十億七千三百七十万人の出会いの結晶なのです。

 この身体を見るとき、改めて「これは私の所有物ではない」と知らされます。これは架空のことではなく、紛れもない事実です。この事実に触れたとき、人間は、初めて「不思議」を実感できます。いままで自分が存在することを「当たり前」だと感じていた暗いこころが、「不思議」に出会うことによって、ハッキリと、いのちを吹き返すのです。

武田 定光氏

真宗大谷派 因速寺住職(東京都)
仏教語 2022 11

僧侶の法話

言の葉カード

 煩悩(ぼんのう)の代表として、瞋恚(しんに)・貪欲(とんよく)・愚痴(ぐち)の三つが挙げられる。怒り、むさぼり、不平不満と生活の中でしょっちゅう出てくる感情である。そんな自分に嫌気がさして、事あるごとに「前向きに明るく生きる」「心穏やかに過ごす」生活を目標に挙げてきた。が、年を重ねるごとに益々煩悩に振り回されることが多くなっているようだ。
 親鸞聖人は、死の間際まで煩悩と共にあるのが私たちであって、そんな私たちが、煩悩が備わったままに救われる道を説いてくださっている。
 煩悩を切り離せないことが問題なのではない。煩悩の責任にして、この身の事実から目を背けている私が問題なのだ。

南御堂の掲示板

「南御堂」新聞2022年3月号(難波別院)より
法話 2022 11

著名人の言葉

言の葉カード

 仏教は他の宗教より普遍性をもっていると私は思っています。浄土真宗は念仏を大切にされていますね。そして、その教えが生きてくるのには、頭で知るということだけでなく、実際にそれが生きる力になるかどうかだと思います。つまり、教えが体の中に沁み渡ってこそ初めて生きてくるもので、仏教用語を理解するだけでは駄目なのでしょう。
 経営学者のピーター・ドラッカーという人は、自分が経営学をやる上で自問自答するんです。どういう問いかというと、この世の中に真理はあるだろうかと、まず自分自身に対して問うわけです。
 それに対して真理はあるのだろうと、問いに対する答えを出します。
 次に、その真理が見つかるだろうかと問います。それに対して彼が到達した結論は何かというと、真理というのは、人生を懸けて問うものだということでした。つまり求道者というものが人生の姿だというんです。道を求めるということが無ければ、全てが無政府状態になってしまいます。

飛岡 健氏
株式会社 人間と科学の研究所 代表取締役

「同朋新聞」2018年6月号(東本願寺出版)より
著名人 2022 11