私たちは、周りの人からいろいろなことを教えられて育っていきます。しかしその中で、心に留めてきた言葉がどれだけあるでしょうか。一方、人から言われた何気ない言葉が、何年もたってから思い出されたりします。耳の底に留まっているのです。
長い間、仏さまの教えをたくさん聞いてこられた方が、「これまで仏さんの教えをたくさん聞いてきたけれど右から左です。すぐに忘れてしまうんです。でも、ドキッとさせられた言葉は思い出す時があるんです」と言っておられました。そんな時、「仏法(ぶっぽう)は聞いて覚えるのではなくいただくのです。ハッとしてドキッとする。そして『ハイ』とうなずくのです」と教えられたことを思い出す。
仏法を聞くということは、自分が生きていくための知識を得るとか、単に参考のために聞くということではなく、どこまでも自分のありようを見つめていく、人生の苦しみや悩みを引き受けて生きていくことができる新しい私をいただくことなのです。
『蓮如上人御一代記聞書』(蓮如 れんにょ ※)
- 蓮如(1415~1499)
- 室町時代の浄土真宗の僧侶
月刊『同朋』2015年1月号(東本願寺出版)より
教え 2020 11
「油断」とは、うかうかと物事をやっていると失敗するから注意しろという意味です。これは仏教語です。この「油断」という言葉を多く使われたのが蓮如上人(れんにょ ※)です。例えば「人間は、いずるいきはいるをまたぬならいなり。あいかまえて由断なく仏法(ぶっぽう)をこころにいれて、信心決定(しんじんけつじょう)すべきものなり」(『御文(おふみ)』二帖目第五通)とあります。ひとのいのちは、いつでも臨終に接しているのだから、怠りなく仏法にこころを留め、信心をはっきりさせなさいと述べています。
この「由断なく」には表層と深層の意味があるようです。表層の意味は、それこそ油断なく心掛けるという意味でしょう。しかし深層の意味は、いつでもこころがそこにあるという意味ですから、人間の意志で左右できることではありません。これは「生活の中に仏法の時間をもつ」のでなく、「仏法の時間の中で生活しなさい」という意味でしょう。人間が意識して油断をなくす時間は一時的ですが、仏法の時間の中で生活していれば、油断など起こりようがないのです。
- 蓮如(1415~1499)
- 室町時代の浄土真宗の僧侶
武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)
仏教語 2020 11
人間は、物事をありのままに見ることはできないんですね。必ずそこに自己関心が雑(ま)じるんです。しかも、やっかいなことに、「自分は見た」という心にとらわれ、その心を絶対化していくんです。それを親鸞聖人は「驕慢(きょうまん)」とおっしゃいます。親鸞聖人があらわされた『正信偈(しょうしんげ ※)』の中に出てまいります、「邪見驕慢(じゃけんきょうまん)」です。見たら見たことに執(とら)われ、聞けば聞いたことに執われ、経験すれば経験したことに執われていく。そして、そのことを絶対化していく。たとえば、自分が経験した苦労に執われ、その経験を絶対化していきますと、今度は、苦労していない人を見下すということがあります。あるいは、「わたしの苦労に比べたら、あなたの苦労なんてたいしたことない」というように、随分、傲慢(ごうまん)な姿にもなります。
ある先輩が「自分は迷いを超えた、自分は迷いを卒業した、なにをかいわんや、これが迷いの絶頂である」と聞かせてくださったことを思い出します。自分自身の執われの心が、人を遠ざけ、人との関係を切っていくんです。もっとはっきり言えば、執われの心が、人と人とを対立させていくんです。ですから、考えてみれば、一番やっかいな対立は、宗教を信じる心と心の対立かもしれません。
『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう ※)』というお経があります。そこに、「これより西方(さいほう)に、十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽と曰(い)う」というお言葉が出てまいります。つまり、「十万億もの仏土」、仏土といいますのは、仏さまの世界です。十万億もの仏さまの世界に出遇(あ)わないと極楽には行けないんだということが説かれているんです。十万億ですよ、気の遠くなる数字です。つまり、執われの心を限りなく破ってもらう、破ってもらうとは、「邪見驕慢のわたしの姿」に気づかせてもらうということです。その終わりなき歩みを、お念仏によって賜るのです。
- 正信偈
- 正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)。真宗門徒が朝夕お勤めする親鸞が書き記した漢文の詩。
- 仏説阿弥陀経
- 浄土真宗で大切にされる経典(お経)の一つ。
荒山 信氏
真宗大谷派 惠林寺住職(愛知県)
『大きい字の法話集』(東本願寺出版)より
法話 2020 11
「自分探しの旅」。生きていくことに疲れ、自分を見つめ直す時間として旅に行かれた人もいるでしょう。心機一転、日常から抜け出して見知らぬ世界へ飛び出すことは、凝り固まった感覚を破る意味では大切なことかもしれません。ですが、180度何かが変わることは至難の業です。
人生の壁にぶつかったとき、私たちはネガティブな感情に陥ります。嫌悪感を覚えたり、自己否定に走ったり…。人間の知恵では、そこから抜け出すヒントがなかなか見つかりません。そんなとき、お釈迦さまは何を教えているのでしょう。それは、「あるがまま」ということです。
結局のところ、「誰とも代われないあなた」「誰とも代わってあげられないあなた」なのです。「なりたい私」や「そうありたい私」と思い描く殻が破られた時、「あなたはあなたのままでいい」という大切な声が響いてくるのではないでしょうか。
アーネスト・ヘミングウェイ
小説家(アメリカ)
著名人 2020 11