僧意工夫

迷走しながら思いを綴る 
お坊さんのエッセイ

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 新型コロナウイルスの感染拡大から1年近くが経ちました。今もなお、それぞれの場所で大きな課題を抱えています。一人ひとりの生活スタイルに目を向けても、「withコロナ」と言われるように、自身の考え方も他者との接し方も、多くのことが日々移り変わっているのではないでしょうか。
 様々な業種の日々の葛藤がニュースで取り上げられています。ではお寺を取り巻く環境は、「withコロナ」のなかどう変化していると思われますか――?

 もちろん全てのお寺に当てはまることではありませんが、お寺を対象に回収したあるアンケートの回答によると、「変化があったこと」には
 ●お葬式や法事の縮小(人数、会食、日数など)
 ●仏教行事の縮小や延期、休止
が多くの割合を占めていたそうです。(当然といえば当然なのですが…)

 「三密(密集、密接、密閉)」のなかで営まれていたことが改めて知らされます。今でこそ「三密」を避けることが望ましいのですが、「三密」のなかでこそ大切な人の死を縁とした「命のバトンタッチ」が育まれてきたことも私たちは忘れてはなりません。
 亡き人に手を合わさずにはおれない人たちが「集」い、亡き人やその思いに「接」し、厳かな空間に身を置く(「閉」)なかで声なき声に耳を澄ませる。悲しみのなかであっても、私の心に響いてくる声なき言葉(コトバ)、集まった者同士の言葉、死者のため以上に生者のために説かれた仏さまの言葉を紡ぐ空間がそこにはあるのでしょう。

  だからといって、今までどおりというわけにはいかないこともまた事実。縮小や簡素化を免れることが難しいなか、大切なことを伝え続ける態度と創意工夫がお坊さんにとっての最重要課題です。お葬式や法事を勤める「本質と心」は、決して縮小してはならないと思うのです。

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