僧侶の法話

言の葉カード

 「ありがとう」は、「有(あ)ること難(かた)し」というお経の言葉が元であります。この○に入るのは、「あたりまえ」です。ご飯の用意ができていてあたりまえ、洗濯物がきれいになっていてあたりまえ…といろいろあります。つまり「有ること難し」ではなく、実態は「もっと、もっとの要求ばかり」が私の姿です。ありがとうの言葉を知っているだけで、本当に感謝しているのかといえば口から出て来ません、忘れています。立ち止まって考えると私の「あたりまえ」の日暮らしが、実はどれだけ「ありがたい」か、ということでありましょう。
 さて最近ご身内を亡くされて、このお盆の法要にお参りになったという方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。お通夜や葬儀をお勤(つと)めになって、どんなことをお感じになったでしょうか。「寂しいなぁ」という思いや、「やっぱり別れたくないなぁ」という気持ちもあったかもしれません。私は、お通夜のときに二十分ほど時間を作っていただいて、そこでお話をさせていただいております。何の話をするかというと、「生老病死(しょうろうびょうし)」の話をさせていただきます。「生、生まれ」、「老、老いゆき」、「病、病を得て」、そして誰しもが必ず「死、死にゆく」。大切な方を亡くされたその悲しみの中で、共々に私の身に具(そな)わる生老病死を学ばせていただきましょう、というお話をしています。もっと尋ねてみますと、お経を説かれたお釈迦さまも、少しおこがましいかもしれませんが、この「生老病死」の問題がきっかけとなり出家されました。そうしますと、お釈迦さまも我々と同じ悩みを持ち、人と生まれたこの課題によって出家され、やがてお悟りの道を歩んでいかれたということが言えるわけであります。

篤 英仁氏
真宗大谷派 御影寺住職(栃木県)

真宗会館「お盆法要」より
法話 2018 07