僧侶の法話

言の葉カード

 石川県の能登半島の方では「たい・たら・ぶりは往生のさまたげになる」と言われるそうです。「鯛」「鱈」「鰤」を食べてたら往生のさまたげになるという訳ではありません。「たい」は「ああしたい、こうしたい、ああなりたい、こうなりたい」。「たら」というのは「あの時こうだったら、あの時こうでなかったら」。「ぶり」は「判ったふりをして、つもりになって生活をしている」ということ。往生とは、今を生きるということです。今をいただいた時、はじめて未来がきまる。この身このままをいただく。人生を充実しなくてはとか、人生に意味を持たせようとかというのは、今を受け取ってない証拠だと思うのです。充実は往生にしかない。「たい・たら・ぶり」を教えられていく、気づかされていくということが、聞法(もんぽう ※)の場にちゃんとあるのです。

「聞法」
仏の教えを聴聞すること

田中 顕昭氏
真宗大谷派 西教寺住職(長崎県)

真宗会館「日曜礼拝」より
法話 2018 02