この言葉は、浄土真宗の僧侶、蓮如(れんにょ)の言行を集めた書物の中のものです。この前後の文章の大意は次のようなものです。
よいことをしたのがわるいことになってしまう場合がある。逆に、わるいことをしたのがよいことになる場合もある。よいことをしても、「私は、正しい教えにもとづいてよいことをしたのだ」と思い、そこに、私が、という自分を中心に置こうとする思いがあるならば、それはわるい結果につながってしまうだろう。それとは反対に、たとえわるいことをしてしまったとしても、自らの自己中心的な思いに深く気づかされたならば、わるい行いの経験が、かえってその人を真実に目覚めさせてゆくのだ。
私たちは、何かをする時、「これをすればよくなるか、わるくなるか」「あれをしたことはよかったか、わるかったか」というように、自分の価値観とそれにもとづく評価にとらわれてしまいます。しかしこの言葉は、私たちのそうした独善的な姿に気づかされることこそが、本当に大切なことであると言っているのです。
『蓮如上人御一代記聞書』
大谷大学HP「きょうのことば」(2015年1月)より
教え 2018 02