私が大学を卒業する間際、一人の先生に出会いました。その先生が私に「悩むということはいいことだ。飛び上がるときには一回沈まなければならないのだから、沈みなさい。そして立ち止まりなさい」と。そして、続いて「一緒に勉強しましょう」と言われたんですね―。
私はそのとき、この先生はいったい何を言っているのかと、訳の分からないことを言っておられるように聞こえたわけです。
つまり、現代を生きるわれわれにとって、「悩む」というようなことがいいことだとは思えないのです。悩み苦しむということはマイナスの価値であって、苦しみをいろいろな方法でなくそうとするということがあります。拝み屋さんがあったり、さまざまな相談所があったりと、そのようなかたちで、悩み、苦しみを解消し、思いどおりに生きようとするのです。
ところが、この「私」を前提にして生きる限りは、絶対に行き詰まるんだというのです。自分が、そして隣にいる人が、思いどおりにならないのです。そういう思いどおりにならない自分と、思いどおりにならない他者とが生活を共にして生きていながら、思いどおりになることが人間の生きる意味であり、人間の幸せだと考えて生きている。そのような生き方は虚なわけです。幻想なんだということです。
ですから、悩むということ、苦しむということがとても大切なのです。この「私」を前提にして生きる限りは、どんな人も行き詰まるんだと。つまり行き詰まるということが、この「私」を問いなおす、とても大きなチャンスなんだと。本当に新しい生き方を、そこに見いだすチャンスなんだということです。
親鸞聖人も、二十九歳のときに二十年もの間修行生活を送った比叡山を下りたということは、やはり行き詰まったわけです。そして、その行き詰まりをとおして、あらためて教えといいますか、法然上人(ほうねんしょうにん ※)に出遇(あ)っていったのです。そして、ご存じのように、法然上人から「ただ念仏しなさい」と教えられたということがあるのです。
- 法然上人(1133~1212)
- 日本の僧で浄土宗の開祖。親鸞の思想に影響を与えた七人の高僧のうちの一人。
中川 皓三郎氏
帯広大谷短期大学元学長
『人間で在ることの課題』
(東本願寺出版)より
法話 2025 11