暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 車に乗っていると向こうから車がやって来ます。一方通行の道で対向車はないはずです。「ここは一方通行ですよ」と声をかけようと思って見てみると、他県ナンバーで運転されている方は外国の人のようです。向こうも困惑しています。しばしにらみ合っていましたが、幸い後ろから来る車がないので、バックして路肩に寄せて相手を通しました。「しかたがないなぁ」と思いながら。
 通行を規制された道路ではなくても、私たちは普段自分の思いや考えで自分なりの方向を持っています。その方向が同じ場合や似た人とは、並走してうまくいきます。でも方向が逆の場合は、ぶつかることになります。譲り合って折り合いをつけることもありますし、激しくぶつかって争うこともあります。力ずくで押し通すこともでてきます。人と人の間でも、国と国の間でも、民族と民族の間でも。私たちが持っているのは、一方通行の一方世界です。

 それに対し仏様の持っている方向は十方(じっぽう)と言われます。東・西・南・北の四方とその間の東南・西南・東北・東南の四維(しい)と上・下を合わせた十の方角のことで、あらゆる方向に世界があるとして十方世界と言われたり、あらゆる人々を十方衆生(しゅじょう)と表したりします。また上・下は、時間軸でもあって過去も未来も合わせて、「いつでもどこでも」ということを表しています。
 あらゆる人や世界をもらすことなく受けとめ応じていく仏様の智慧(ちえ ※)と慈悲(じひ)が十方にはたらくのです。その仏様のはたらきによって、私たちの考えや行いが自分本位の一方通行になっていることが照らし出されます。

智慧
自分では気づくことのできない自らの姿を知らしめる仏のはたらき。

四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)

仏教語 2025 03