

岩明均(いわあきひとし)『寄生獣(きせいじゅう)』(新装版第10巻、最終話)に、こんな問答があります。
「道で出会って知り合いになった生き物が ふと見ると死んでいた そんな時 なんで悲しくなるんだろう そりゃ人間がそれだけヒマな動物だからさ だがな それこそが人間の最大の取り柄(え)なんだ 心に余裕(ヒマ)がある生物 なんとすばらしい!!」。
実際の生き物ならまだしも、創作物にあらわれる登場人物たちは、実世界には存在しません。しかし、私たちは物語を通して、その実在を強く感じることがあります。私たちの心の余剰が、たとえ目先の忙しさのなかで搔(か)き消えそうになっているとしても、そうさせるのです。
過ぎ去る日常を生きる私たちにとって、あわただしさのなかで日々のきめ細やかさを味わい、他者と深く共感することは稀(まれ)かもしれません。しかし、私たちの日々を、他者の存在を表現によってなぞり、再現によって再確認する。それによって初めて私たちは、日々の重さを知り、存在そのもののかがやきを見出(みいだ)すのではないでしょうか。
文学であれば文脈が、マンガであればコマ割りが、アニメであれば動きが、私たちに日々のいぶきを、存在のかけがえのなさを回復させます。創作者の胸中(きょうちゅう)にあらわれたいのちが表現によって再現されるとき、そのいのちを実感するのはむしろ、日常の中で見失っている私たちの方なのです。
『寄生獣』(岩明 均)
東 真行氏
真宗大谷派 常行寺(福岡県)
『仏教のミカタ-仏教から現代を考える31のテーマ』
(東本願寺出版)より
著名人 2025 07