

春から夏にかけて日本に来る渡り鳥のブッポウソウは、本当は「ブッポウソウ」と鳴かない、実はコノハズクが「ブッポウソウ」と鳴くのだと昭和初期になって分かったそうです。ただ鳥の鳴き声がそう聞こえるほど日本人に定着していた言葉が「仏法僧(ぶっぽうそう)」です。
この仏と法と僧を「三宝(さんぼう)」と言います。聖徳太子の十七条憲法でも、「篤(あつ)く三宝を敬え」と示されていることはご存じの方も多いと思います。
仏は、人間の迷いに目覚めた仏様です。法は、その仏様の教えを表します。僧は僧伽(サンガ)の略で、仏の教えを聞き確かめる場やなかまを表します。この仏・法・僧をあなたの人生の宝としなさいと勧められ、三宝を篤く敬えと言われるのです。
確かに仏様やその教え、さらに教えを聞くなかまも大事なものに違いないと思っても、人生の宝とするというと、ちょっとそこまではと躊躇(ちゅうちょ)する気持ちもあります。
もしそうだとすれば、私たちはそれぞれ何を人生の宝にしているでしょうか。健康が何より大事だということもあります。家族が宝だと思うこともあります。結局お金が一番だと考えることもあります。でもそれなら、病む人には人生の宝はないのでしょうか。家族が喧嘩(けんか)をすれば宝は失われるのでしょうか。お金はどれくらいあれば宝といえるのでしょうか。
実は、仏法僧の三宝とは、今私が宝と思っているもの、握りしめている宝が、本当か、人生を貫く宝か、と常に私を問うということにおいて「宝」とされるのです。
四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)
仏教語 2025 07