求めているものを手に入れたのに、なぜ人間が満たされないかといったら、求め続けて手に入れたものが、実は自分自身の本当に願い求めているものでなかったということです。我々が頭の中で考えて、こうなればよいのだというのは、仏さまからいわせると「それは、模造品ですよ」ということなのです―。
『歎異抄(たんにしょう)』の第十六章では「日ごろのこころではたすからず」といっております。「日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心(えしん)とはもうしそうらえ(『真宗聖典 第二版』780頁)」と、つまり我々の「日ごろのこころ」で「ああなったらいい」「こうあるべきだ」と考えても、悲しいかな模造品しか思いつかないということです。
しかしどんな人の中にも、人心の一番深いところ、「日ごろのこころ」を突き抜けた深いところにある、生きているという存在そのものの中に根源的な魂の要求があるのです。このこと一つが果たせなかったら、私は死んでも死にきれないというものがどなたの中にもあるのです。
『歎異抄』(唯円)
近田 昭夫氏
真宗大谷派 顯真寺前住職(東京都)
『自分でなければやれない仕事』
(真宗大谷派 東京教区発行)より
教え 2025 01