著名人の言葉

言の葉カード

 人間の本質は大きく変わらない割に、ここ十年ばかりで多様性という言葉はずいぶん広く認知され共有され、あらゆる発言、先鋭的な思索においても、多様性というある種のお守りを持てるようになってきた。喜ばしいことだ。公共の福祉に反しない限りでの人の考えの表明の自由、そして価値観の共有の自由は歩みの力強さを増している。
 そしてその多様性というのは、もちろん動物に対する個々の考え方にも表れている。動物福祉、あるいはSDGs、またあるいはポリティカルコレクトネスに反しない限り、思考は自由だ。
 車の前に親子連れの熊が飛び出してきて車両を破壊するという事態ひとつにしても、『危険だ 駆除すべきだ』『そもそも熊の生息地に人間が後から入り込んだのだ』『親子連れの熊は頑張っている』等々。様々な意見が入り乱れる。現地の状況に応じた最適解ともいえる解決策は必ず存在する。しかしそれ以外の、『それはそれとしてあなたはこの件についてどう思うか』については、三つ四つの選択肢ではとても足りなくなってきた。
 野生動物。害獣。ペット。家畜を含む経済動物。そして人間。それぞれのあわいに立つ隔壁は高くもなれば時になぎ倒されることもある。毛のない皮膚と柔らかい爪しかない人間は相対的にかなり弱いが、隔壁の向こうを慮(おもんぱか)れるのは人間のみでもある。エゴと思い込みと仮想の愛とのはざまをふらふら迷いながら、それでも考えることをやめられない。人間の弱さと傲岸(ごうがん)さは、けれどひとつの武器でもある。

河﨑 秋子氏
小説家

『アンジャリ』第44号
(親鸞仏教センター)より
著名人 2025 08