幼い頃から、ものづくりがすごく好きでした。とは言っても、紙粘土で貯金箱を作ったりする小学生の工作のようなものですが、私はそういう工作が高校生になっても好きだったんです。ただ、さすがに高校生にもなると、例えば役に立つロボットや、おしゃれでデザイン性のあるものなど、「ちゃんとしたもの」を作ることが求められているような気がして、徐々にやりづらさを感じるようになってしまいました。
そんな時に思いついたのが「無駄づくり」という言葉です。この言葉のなかでものづくりをすれば、それが単なる工作でも、失敗だったとしても、「無駄づくり」なのだからそれで良い。私が好きなことが、何かの基準によってふるい落とされずにすむんじゃないかと思ったんです。「無駄」というのは、ネガティブな言葉かもしれませんが、「役に立たないものでもそこにあって良い」という包容力みたいなものがある気がして私はすごく好きです。
ものづくりに限らず、人もきっとそうですよね。効率的で生産性がある人に「価値」があると評価される時代ですが、それだけではないはずです。自分は役に立たないと悩んでいる人でもそこに居て良いし、ふるい落とされるのはおかしいと思います。これは仏教の思想とも少し通じる部分があるのかもしれませんね。
藤原 麻里菜氏
無駄づくりクリエーター
月刊『同朋』2024年3月号
(東本願寺出版)より
著名人 2024 10