暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 仏教が説く「魔」は、キリスト教やイスラム教に見られる、神に敵対し滅ぼそうとする外なる悪魔ではなく、私たち自身の中に魔に誘われ魔になっていく問題があるということです。
 私たちは日常的に、事故に遭わないようにお守りを付ける、病気にならないことを願ってお祓(はら)いを受けることがあります。これだけなら魔は発生しません。事故が起こったからといってお守りを発行したお寺に文句を言ったり、病気に罹(かか)ったからといってお祓いをした神社を訴えるということはないでしょう。
 魔は、事故を起こして、しまったと困っている私たちの弱みを襲うのです。「ちゃんとお守り付けていましたか」「いいえ付けてません」「だからですよ、やっぱりお守りは付けないと」と言って、お守りを付けていたら事故は無かったのだと私たちを誘います。
 あるいは病気になって気が弱っている時に、「だから、厄払いにお祓いを受けようと誘ったのに、来ないからだ」と、お祓いさえ受けていれば病気に罹らなかったのだと強調します。
 しかし事故の原因はお守りを付けていなかったことではないでしょうし、病気になったのはお祓いを受けなかったからではないはずです。でもそう言われると、付けなかったり受けなったことが悪かったのだと思わされ、お守りを付けお祓いを受けようと考えてしまいます。
 これが魔に誘われて、事実をしっかり見つめる眼を奪われ、魔になっていく私たちの問題です。

四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)

仏教語 2024 11