著名人の言葉

言の葉カード

 「…いや…… …ええと …うん 日記を …つけはじめるといいかも知れない」
 「日記?」
 「この先 誰が あなたに何を言って …誰が 何を 言わなかったか あなたが 今… 何を感じて 何を感じていないのか たとえ二度と開かなくても いつか悲しくなったとき それがあなたの灯台になる」
(ヤマシタトモコ『違国日記』第1巻、第2話より)
 突然の事故で両親を失った女の子に、その亡き母の妹である女性がこのように語っている。
 様々なSNSが横溢(おういつ)する現在、紙媒体の日記に手書きするひとはどれほどいるだろう。少なくとも私はそのひとりではないし、友人たちを思い浮かべてはみるものの見あたらないようだ。
 こう書き出してみると、ある思い出がふと去来する。2007年、原美術館で見たヘンリー・ダーガーのことだ。ダーガーは人知れず、2万ページを超える物語原稿と300枚以上の挿絵(さしえ)を遺して生涯を終えていった。かれは自作の原稿を読み返しただろうか。寝る間を惜しんで書き継ぎ、もしかすると2度と開かれないページもあったのではと想像をめぐらせる。同時に、遺されたあらゆるページはかれの生を照らす灯台ではなかったかとも思う。
 日記を書くのは、どんなこころなのか。1日の終わりにひとり、まっさらなページに向かう。その日の些事(さじ)、投げかけられた言葉、感じたことなどを記すとき、ひとは必ずしもひとりではない。メモ程度の日記であれば話は別だが、腰を落ち着けて黙々と書こうとすれば、すでに過去となった出来事が再現され、ひとびとが躍動し語ることもある。他者のみならず、いまあらわされ出(い)づる言葉を読むみずからもまた見出されてくる。さらにはその日記がいずれ誰かに読まれることになる、そんな未来までもが、ペンを走らせるところに訪れている。しばしのあいだ足をとどめ、日々のきめを手探り、あらわす。悠々たる時がそこには流れているのだろうか。

漫画『違国日記』第1巻(ヤマシタトモコ)

東 真行氏
真宗大谷派 常行寺(福岡県)
親鸞仏教センターHP「今との出会い」第196回
著名人 2024 05