「あの人は慳貪(けんどん)な人だ」という言い方がかつてはありましたが、今はあまり聞かれないようです。「けちで欲深い」「思いやりがない」「冷淡」「不愛想」という意味で使われていました。「つっけんどん」と言えば、今でも耳にすることがあるかもしれません。漢字で表記すると「突慳貪」となります。「慳」は物惜しみをすること、「貪」はむさぼることと、辞書にはでています。
仏教では、「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんい)」「愚痴(ぐち)」を三毒の煩悩(ぼんのう)と教えています。「貪欲」は自分が欲しいものをどこまでも追い求めそれにとらわれる「むさぼり」の心です。この欲しがる「むさぼり」の心が強ければ、お金や物を出し惜しみすることにもなりますから、それが「慳貪」と表されたのです。
特別何かをむさぼるということではなくても、わたしたちは自身の生活の安定、学びや仕事や運動ができる能力、さらにそれを充実させて人生を意味あるものにしたいと考えていないでしょうか。
現代において生活を安定するために求められるのは富、財力です。また自分の能力を十分発揮できるには、それにふさわしい地位やポジションが必要です。そうして富に裏付けられ、ふさわしい地位があれば、世の中や人々から認められ「いいね」が贈られますから、名誉を得て生きる意味があったということになります。多かれ少なかれ財産欲と地位や権能を求める欲と名をとどめたい名誉欲が私たちを動かしています。
ですから、富や地位や名誉が願ったように得られなければ、腹が立ちます。奪われるようなことになれば恨みともなります。それが「瞋恚」です。それで富や地位や名誉を争い、その争奪に夢中になって、周りの迷惑や自分の醜さが見えなくなる姿が「愚痴」です。仏教はこの「貪欲」「瞋恚」「愚痴」を無くせというのではありません。それを私たちは身に備えていて、そこに問題の元があることに目を覚ませと教えているのです。
四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)
仏教語 2024 05