暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」
 織田信長の時代劇では必ず出てくる、信長が好んだと言われる「幸若舞」の「敦盛」の一節です。この元は、『倶舎論(くしゃろん)』という古い仏教の文献にあるようです。インドの経典から「人間」と翻訳された言葉は、「マヌシャ・ローカー」。それは決して先の幸若舞のような儚(はかな)い存在という意味ではありません。「マヌシャ」は「考えるもの」という意味で、「ローカー」は「世界」という意味です。
 私たちは、独り生まれて、独り死んでいくのですが、独りで降ってわいてきて、独り悄然(しょうぜん)と消えていくわけではありません。私たちの体は細胞が集まってできています。その細胞の数は60兆とも言われます。その数は一生かかっても数えきれません。その細胞という生命が誕生したのは38億年くらい前なのだそうです。さらにそれから10億年が過ぎたころにたくさんの細胞をもった生命が誕生しました。そしてその後の長い進化の歴史をたどり私にまでつながっています。その私は現在、自然環境を含め、着ることも食べることも住むことも、すべて広い世界的なつながりの上に成り立っています。
 まさに深い歴史と広い関係、世界の集約が私となっているのでしょう。それは何も人間だけではなく、花などの植物も犬などの動物もみなそうです。しかし、私が、世界を背景にした存在だと知り、世界を生きていると考えられるのは人間だけです。そして考えることから、世界にはたらきかけ、世界を変えるような力も持つようになったのが人間です。
 ただ残念なことに、世界は私の物だと考えたり、自分の思いや要求を実現するために世界を変えようと考えることも起こります。そのため力ずくの争いを起こし、環境を破壊することにもなりました。
 それで、その「世界を考える人間」を問い、私自身は何者かと考えさせる仏教が人間に与えられているのです。

四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)

仏教語 2024 01