教育委員を十数年させてもらっていますが、学校教育では学業やスポーツ等においてどうしても「優れた立派な人間を目指す」という落とし穴に陥(おちい)りがちです。それは凡夫(ぼんぶ)ではダメだという人間観を教えてしまうことになります。そうなると、一生懸命に取り組んでも思った結果の出ない子ども達は、寂しい思いや取り残された感覚にとらわれてしまいます。
日本に本当の意味で仏教を伝えてくださったと親鸞聖人も尊く慕われていた方に聖徳太子がおられます。その聖徳太子が作られた『十七条憲法』の十条に、
我必ず聖(ひじり)に非(あら)ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫ならくのみ(自分だけが立派で、自分以外の人が愚かということではありません。共に凡夫がいるだけです)
という言葉が出てきます。
私たちは、ついつい他人に誇れる自分を見いだして自分の人生の価値だと勘違いしてしまいます。そこに立つ時「自分と違う生き方をしている人」、「自分と違う考えを持つ人」を非難したり見下したりしてしまいます。それによって、相容(あいい)れない人を作り出して、自分と都合の合う人とのみ付き合うか、孤立してしまうことを聖徳太子は仏様の視点に立って教えてくださっています。
親鸞聖人が、「愚禿(ぐとく)」と名告(なの)られたところに、「愚かなるゆえに聞かせてください」、「愚かなるゆえに教えてください」、「愚かなるゆえにたすけてください」ということがあると思います。
「愚か」というところに自分と違う生き方や考え方の人の話も聞こえ、出会っていける共なる世界が開けてきます。そのことを「われなり」でなく「われらなり」と「ら」の文字をつけて呼びかけてくださっているように思えます。
『一念多念文意』(親鸞)
寺本 温氏
真宗大谷派 真蓮寺住職(長崎県)
『今日のことば(2018年)』(東本願寺出版)より
教え 2023 09