暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「談合」という言葉を聞くと、すぐに犯罪を連想される人も多いでしょう。ところが、仏教語の「談合」はとても大切な意味を持っています。本願寺第八代目の蓮如(れんにょ)は、「寄り合い談合せよ」と重ねて語られます。「談合」とは、仏法(ぶっぽう)をどのように聞いているのか、それをお互いに腹を割って話し合えという意味です。信仰は極めて内面的なことですが、それを、敢えて言葉化せよというのです。言葉化することで、聞き方の間違いをお互いに確かめられ、また新たな発見をすることがあるのです。

 現代では、「談合」という言葉よりも、「座談会」という言葉に馴染みが深いのではないでしょうか。浄土真宗では、講師の法話が終わった後、聴衆と一緒に話し合いをする習慣があります。これも「談合」という伝統を引き継いでいるのです。
 「座談会」では、法話の中身を味わいなおしたり、あるいは普段、疑問に思っていることなどが忌憚(きたん)なく話し合われます。しかし、自分の内面を語るには勇気が必要です。人間は優越感と劣等感の生き物ですから、「こんな初歩的なことを聞いてもよいだろうか」、「ひとからバカにされやしないだろうか」などの内面の声が聞こえてきて、発言を控えてしまうこともあります。発言の得意な人もあれば、自分の内面を語ることが苦手な人もおられます。その人は、その場にいるだけでよいのです。他の聴衆の質問や感想を聞くことを通して、新たに仏法を味わうことができるからです。浄土真宗は、「言葉の宗教」ですから、どこまでも、「言葉」を拠り所とします。なぜならば、「言葉」は人間が考えたことの結果ではなく、物事を「言葉」で考える生き物だからです。ですから、「言葉」によって傷つくこともあれば、「言葉」によって救われることもあるのです。「言葉」をどう受け止めるかによって、その人の人生までもが変えられていくのです。「たかが言葉」ですが、「されど言葉」なのです。

武田 定光氏

真宗大谷派 因速寺住職(東京都)
仏教語 2023 11