長期に及んだ首都圏一都三県への緊急事態宣言がいったん解除となったが、相変わらず生活はストレスフルである。そんな中、少しでもすっきりしたいと、雑然としたデスクの片付けを試みた。するとある小さなピンバッジがどこからか出てきた。数年前に開催された仏教学に関する学会で、記念品として一人ひとつずついただいたもので、ありがたい仏像が描かれている……のではなくて、仏教に関するジョークまたはアフォリズムのような一節などが英語で記されている。学会主催校の事務局長を務められ、ジョークの達人として知られるケネス・タナカ博士(※)が米国から取り寄せたものだという。
私がいただいたバッジの文言はあとでご披露するとして、学会の懇親会でほかの参加者の方々とバッジを見せ合ったとき、思わず「くすっ」と笑ってしまった例をまずご紹介したい(恐縮ながらこのピンバッジが今月の「出会い」なので、あまり「ピン」とこないかもしれないが、今回は「くすっ」と言うと同時にコロナ禍のストレスもほんの少しでも「すっ」と吐き出しながらお読みいただきたい)。さてそのバッジの文言は―
There is no I in Buddha
直訳すれば「ブッダのなかにアイはない」。ジョークを解説するなんて「冗談だろう?!」という読者の声は聞こえないふりをして敢えて説明すれば、“Buddha”という単語の綴りのなかに“I”という文字はない、というのが文字面(もじづら)の意味。だがオチは“I”には「私」「我(われ)」という意味もあること……。なんとも洒落た「無我」の表現である。「ユーモアは仏教の教えを伝える効果的な手段でもあるのです」と、タナカ博士は言う。
これに類したものでインターネットでもたくさん見かける有名なジョークがある(ジョークの常として、出典や創作者は不明・匿名のまま、いま風に言えばあちこちに「拡散」されている)。
Why can’t the Buddha vacuum clean corners?
(なぜブッダは掃除機で部屋の隅っこを掃除できないのか?)
Because he has no attachments!
(彼にはアタッチメントがないからさ!)
ここではattachment は掃除機の先端に取り付ける隙間ノズル。でももう一つの意味は……「執着」だ。私たちも心の隅々にまで掃除機をかけたいものだが、掃除機自体も心だから、そこにはどれほど、どんなノズル(attachment)が付いているだろうか―。
ダライ・ラマ法王が登場するジョークもある。誕生日プレゼントをもらったダライ・ラマ法王。だが箱を開けてみれば中身は空っぽ。そこでひとこと―“Just what I wanted, nothing!”(ちょうどほしかったもの、無(む)だ!)。
笑いは消化によい、と哲学者のカントが言ったらしいが、確かにしょうかもしれない(え? 誤植ですって……?)。だが笑いは一歩間違うと恐ろしい凶器にもなる。人を軽蔑し、文字通り笑い者にして傷つけるようなジョークは許されない。そうしたジョークを聞いてどっと周囲が笑えば、それはもう集団暴力だ。ぜひ心して「消化によい」笑いを噛みしめたいものである。
もちろん仏教は人間の深い苦悩に救いの手を差し延べるものであり、特にコロナ禍で悲しみや不安が世を覆う中、切実な思いで宗教に向かう人も多いだろう。だがそんなときにも、ちょっとした笑いが、心を一瞬でも明るくするささやかな燈(ともしび)になることもあるのではないだろうか。
最後に、学会で私がいただいたバッジに何が書いてあったか。それはジョークではなかった―Outside Wise, Inside a Fool(外見は賢人、中身は愚者)。心の奥底をグサっとひと刺し。みずからの存在の真実に対し深き反省を迫られるピンバッジであった。
- ケネス・タナカ
- 浄土真宗僧侶。武蔵野大学名誉教授。米国国籍(日系三世)。アメリカ仏教研究者として日米で著名。
伊藤 真氏
親鸞仏教センター嘱託研究員
親鸞仏教センターHPエッセイ「今との出会い」より
法話 2023 07