仏教の教えについて

言の葉カード

 「子を持って知る親の恩」と言われますように、恩というものは、子が感ずる以前から、すでに親から受けているものでしょう。同じように、お釈迦様、阿弥陀(あみだ)如来の慈悲は、私たちが気づく以前から注がれているのです

 現代に生きる我々は、ともすると、この地球上で一番賢いものは人間だと思い込んでいますが、あらゆる生き物の中で、最も迷いが深く、罪が深いのが人間ではないでしょうか。
 昔テレビで、ライオンがキリン(シマウマだったかもしれません。ただキリンを襲うこともあるようです)の群れを追いかけ、ついに一頭を捕まえると、その途端、一斉に逃げることを止めた他のキリンが映し出されていました。ライオンは一頭の獲物だけで、その日の食料は十分で、他を襲うことはしないからです。野生の生き物は〈欲〉と生命の〈要求〉がほとんど等しいようです。
 しかし、ライオンと違い人間は、目の前に欲しいものがまだたくさんあるのですから、「明日の分も明後日の分も」、あるいは、「いらないかもしれないけれど念のために」と、獲り尽くそうとしているのではないでしょうか。生命の〈要求〉以上に〈欲望〉を持つのが人間です

 私は、以前、〈迷い〉とは心のことだと思っていました。しかし、親鸞聖人は「いずれの行もおよびがたき」「愚」「出離の縁あることなき」(『歎異抄/たんにしょう』)と言われています。「身」を持っている以上、〈迷い〉から離れることができないのです。その「身」を抱えた人間に、〈大悲〉の心をもって「念仏もうしてくれ」と呼びかけ、迷っている身に目覚ましめようとする阿弥陀如来の悲しみの声があります。そしてその呼び声を聞き、その声の方へ往(ゆ)け、と押し出してくださる釈迦の慈(いつく)しみの声があります。その釈迦・弥陀の声は、私が気づくよりはるか以前から、ずっとかけられ続けていたのです。

『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』(親鸞)

保々 眞量氏
真宗大谷派 光行寺住職(熊本県)
『今日のことば(2010年)』(東本願寺出版)より
教え 2023 07