今は、自分に不都合なものを見ないようにして、そのことが身近な人だけでなく、世代間のつながりをも断っているように思います。
メールでのコミュニケーションが主流の世代では、直接会話することも避けられがちです。また、インターネット上にはさまざまな情報が氾濫しています。ネットは匿名で、自分は安全なところにいて、欲求を満たすことができるわけですから、欲望が曲がった形でいくらでも肥大していきます。つまり誰も見ていないから、何をしてもわからないし、相手の痛みも感じずにいられる。使う言葉さえ極端になり、身体性を喪失します。身体性というと難しそうですが、五感をとおして体に響く感覚です。もしも目の前に人がいれば自分の行動には責任が伴い、結果として誰かに影響を及ぼす種になると気づけます。これらが見えていないと、社会全体の感覚も歪んだままになっていくのではないでしょうか。
身体性をもったつながりを取り戻すには、直接の対話から始めるしかないでしょう。それにはまず、実際に声を発し、言葉を受け止め、そこから触発されたものを相手に渡すこと。それは心地良いことばかりではないかもしれません。けれども、対話が一番小さな単位の「社会」にもなります。身近な人と、日常や普段見ているものを話し合うことが特に大事です。私たちの声が集まって社会の声となり、やがては歴史をつくっていることに気づけば、不都合なことを見ないようにすることはできないと思うのです。
劇作家である私にできることは、他者の声や体験を聴き取り、それによって過去の時代や社会を演劇で再現することです。俳優の発するセリフ、身体表現が観客の体に響く時、失われた物語や祈りが、再びいのちをもって舞台に立ちあがるのです。
嶽本 あゆ美氏
劇作家・演出家
「同朋新聞」2018年5月号(東本願寺出版)より
著名人 2022 10