あるご門徒(もんと)さんとの会話―。そのご門徒さんのお子さんが大学に入学されたのですが、新一年生の厳しい現状をお聞きしました。今年度は、入学当初から学校の授業はすべてオンライン上。なかなか対面授業の再開ができないまま、新しい友達や横のつながりを作ることが難しくなり、孤独を感じ、悩んでいると言われます。希望の大学に入学し、当たり前にあるはずだったさまざまな学生生活が、すべてこのコロナによってなくなってしまったそうです。ニュースでは「コロナ疲れ」「リモート疲れ」などと言われていますが、それらは私たちの想像を超えて心を蝕(むしば)んでいるように思います。
私はこのコロナ禍において、あらためて仏様と接点をもつことの重要性を実感しています。特に今、科学的な視点で医療や経済のことを中心に、ものを考えることが多くなっています。科学的視点に立つことは大切なことですが、同時に私たちの心の問題も大切だと思います。この二つは車の両輪のようなもので、どちらかだけでは前に進めません。今の時代はこの心の安心が見過ごされているように感じます。
親鸞聖人は『浄土文類聚鈔(じょうどもんるいじゅしょう)』において、念仏の教えを「濁世(じょくせ)の目足(もくそく)」とおっしゃいました。先の見えない不安な世の中を歩んでいくための、目となり足となるものが念仏であると言われるのです。仏法聴聞(ぶっぽうちょうもん)し続けること、念仏する時や場を持つことが、コロナ禍であっても、そうでなくても、自分の人生をしっかりと生きていくことにつながるのではないかと思います。
『浄土文類聚鈔』(親鸞)
吉田 法照氏
真宗大谷派 西照寺住職(岐阜県)
「同朋新聞」2021年2月号(東本願寺出版)より
教え 2022 07