あるご門徒(もんと)さんとの会話―。そのご門徒さんのお子さんが大学に入学されたのですが、新一年生の厳しい現状をお聞きしました。今年度は、入学当初から学校の授業はすべてオンライン上。なかなか対面授業の再開ができないまま、新しい友達や横のつながりを作ることが難しくなり、孤独を感じ、悩んでいると言われます。希望の大学に入学し、当たり前にあるはずだったさまざまな学生生活が、すべてこのコロナによってなくなってしまったそうです。ニュースでは「コロナ疲れ」「リモート疲れ」などと言われていますが、それらは私たちの想像を超えて心を蝕(むしば)んでいるように思います。
私はこのコロナ禍において、あらためて仏様と接点をもつことの重要性を実感しています。特に今、科学的な視点で医療や経済のことを中心に、ものを考えることが多くなっています。科学的視点に立つことは大切なことですが、同時に私たちの心の問題も大切だと思います。この二つは車の両輪のようなもので、どちらかだけでは前に進めません。今の時代はこの心の安心が見過ごされているように感じます。
親鸞聖人は『浄土文類聚鈔(じょうどもんるいじゅしょう)』において、念仏の教えを「濁世(じょくせ)の目足(もくそく)」とおっしゃいました。先の見えない不安な世の中を歩んでいくための、目となり足となるものが念仏であると言われるのです。仏法聴聞(ぶっぽうちょうもん)し続けること、念仏する時や場を持つことが、コロナ禍であっても、そうでなくても、自分の人生をしっかりと生きていくことにつながるのではないかと思います。
『浄土文類聚鈔』(親鸞)
吉田 法照氏
真宗大谷派 西照寺住職(岐阜県)
「同朋新聞」2021年2月号(東本願寺出版)より
教え 2022 07
世間話で、「うちのダンナがさぁ」などと聞くことがあります。この「ダンナ」は、もともと仏教語です。danaの音写語で、意味は「施主・布施する者」のことです。臓器提供者を意味するドナー(英 donor)の語源とも言われています。世間では「檀家」という言葉を聞きますが、これは「旦那の家」のことで、「布施する側」を意味します。布施を受ける側が聖職者集団になります。「ダンナ」という言葉は、布施する者と布施を受ける者という区別を前提とした言葉なのです。
ところが私達浄土真宗は、「檀家」ではなく「門徒(もんと)」という言葉を使います。これは「仏さまの教えを受ける一門の生徒」という意味です。
一つの門を入れば、そこはみんな平等な生徒です。教えて下さる先生は阿弥陀(あみだ)さまです。私は「この世は〈私一人〉を教育する阿弥陀さんの学校なり」と言っています。実はこの世に誕生したという意味は、阿弥陀さんの学校に入門したことなのです。人間が入ろうと思って入門したものではありません。真宗は「絶対他力」の教えです。人間の思いを超えた受動的出来事が「誕生」なのです。ところが、この「誕生」は死の原因を作ることでもあるのです。
死の条件は「病気・事故・老化」などですが、根本原因は「誕生」です。これが阿弥陀さんから私達に突き付けられた教材です。さて、この教材を通して、どんな教育を受けることができるのでしょうか。それを阿弥陀さんは、私と一心同体となって、ご覧になっておられるのだと思います。
武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)
仏教語 2022 07
私たちは、会社や家庭で社会の中で、さまざまな仕事をして生活し生きている。そこには少なからず誇りを持ち役割を担っている自負がある。もし、その仕事がなくなるのだとすれば、すぐに新しい仕事に移ることができるのだろうか。そんなに簡単なことではない。
AI化が進むことによって、私たちの暮らしぶりに大きな変化が訪れることは容易に想像できる。その速度についていけるだろうか。ついていくのだろうか。
ミヒャエル・エンデ作『モモ』の登場人物に、時間貯蓄銀行の灰色の男たちがいる。彼らは街の人々に時間を節約して効率化をうながし「成功すること」「ひとかどのものになること」をすすめ、実際には人々の時間を奪っていく。そうして時間を預けた街の人々は、みんな時間に追われるようになり心もギスギスするようになって、みるみるうちに街から生気が奪われていく。物語は、主人公のモモが仲間たちと、灰色の男たちと対決し時間を人間に取りかえすストーリー。実は、この灰色の男たちとは、実体がなく、いまで言うと“世の中の空気感”みたいなものだ。
ますます進歩発展していく中で、いよいよ人間の存在意味が問われる時代が来ているのだと思う。
不二門 至淨氏
真宗大谷派 流山開教所(千葉県)
真宗会館広報誌『サンガ』161号より
法話 2022 07
自分と同じ「望まない孤独」を多くの人が抱えています。それは子どもたちでも同様です。家庭や地域で支えてあげるのが理想だけど、悠長に待ってられません。だから、子どもでもアクセスできるよう、匿名で、顔も声も出せなくてもいい。苦しいとき、誰かを頼りたいと思ったときに、いつでも話を聞いてくれるチャットというツールを選びました。頼れる人との出会いが奇跡であってはならない。あなたの居場所があることを、子どもたちに伝えたいと思ったんです。
開設した日、40件の相談が来て、次の日から急いで相談員の募集をかけました。どんどん手を挙げてくれて、お医者さんもいれば看護師さんもいる。これだけ死にたいって人がいる一方で、そこに手を差し伸べようとする人もいっぱいいるんです。
相談してくる子どもたちのなかには、親や先生に心配をかけたくないという気持ちを抱えた子がいっぱいいるんです。ぼくは懲罰的自己責任論と呼んでいます。結局自己責任のみが蔓延(まんえん)して、苦しいことや悩みがあっても、これは自分の責任だから迷惑をかけたらいけないと。相談することを、ある意味負けとか恥ずかしいことと考えてしまい、頼れない。すごく優しい繊細な子が多いんです。
そんな子どもたちでも頼れる場所、第3の居場所みたいなものが常に必要だろうと。重要なことはゆるいつながりなんですね。いざというときに頼れる場所がある、そんな場所であり続けたいなと思っています。
おなかが空いたらご飯を食べて、のどが乾いたら水を飲むのと同じように、孤独を感じたら誰かとつながらないといけないじゃないですか。誰かに頼ることで、孤独を乗り越えることだってできるんですね。だから、まずは頼れる場所をつくっていかなければと思うんです。
大空 幸星氏
NPO法人 あなたのいばしょ 理事長
真宗会館広報誌『サンガ』177号より
著名人 2022 07