病院に勤めていた時は、ご家族からも何とか延命処置をしてほしいと言われることもたくさんありましたが、四万十(しまんと)に来てからは、あまりそのようなことを言われることはありませんでした。四万十川は一年をとおしてさまざまな移り変わりがありますが、その流域に生きる植物や動物にも同じように移り変わりがあり、それらのいのちには必ず終わりがあります。いのちの終わりは人間だけが特別なのではなく同じなのだと思うのです。生まれたら必ず死ぬという覚悟、死に対する受容が四万十の人たちには強くあるのではないかと感じています。ですから、四万十での在宅の看取りというのは、医者が頑張って手を加えるのではなく、ご家族と一緒に見守ることなのです。
医者は本来手を加えるためにいるようなものですから、逆に何もしないで見ているだけというのは、それなりの勇気とエネルギーが要ります。動物や植物も自然の中でいのちを終えていくのですから、人間も自然にいのちを終えていくのが大切なのではないかと思うのです。そこには本人と家族の覚悟が必要です。その覚悟をもった時に、本当のいのちのあり方が見えてくるのではないでしょうか。
現代は、人間を科学的に見ようとする風潮がありますから、死んだらすべてが終わりという発想になってしまいがちです。ですから、大きな病院では医者は死ぬまでは頑張ってくれますが、死んだらそこで全てが終わりになってしまいます。しかし、私は死んだら終わりではないと思っています。患者さんの死亡診断書を書くだけでは終わりません。時にはお通夜にお参りさせていただき、ご家族といっしょに亡くなったことを受け止めています。
四万十では人生の最期を「いのちの仕舞い」と呼んでいますが、この言葉は単にいのちの終わりを表しているのではなく、今を生きるということにも繋がってくるのだと思います。高齢化がますます進む昨今ですが、そういう意味で、私たちの生き方やいのちとの向き合い方が問われているように思います。
小笠原 望氏
医師・大野内科院長(高知県四万十市)
「同朋新聞」2020年6月号(東本願寺出版)より
著名人 2022 08