親鸞は、平安時代末期の1173(承安3)年に朝廷に仕える役人の家に生まれ、1181(養和元)年に9歳で出家して、当時の仏教の総合大学ともいうべき比叡山延暦寺に入山します。その年は、大飢饉や地震、疫病の流行などにより、都に死者があふれていた時期。兄弟もみな出家しており、時代に翻弄されての出家であったのかもしれません。しかし、わずか9歳の親鸞は、その道をまっすぐ歩もうとしたようです。
親鸞の出家の式を行ったのは、後に天台座主(てんだいざす ※)となる慈円でした。伝承によれば、そのとき時間が遅かったため、慈円が「出家の式は明日にしよう」と告げたところ、幼い親鸞が次のような歌を詠んで周囲を驚かせたというのです。
人の命を桜花に喩(たと)え、「必ず明日があるとは言えないから、今すぐ出家させてほしい」という願いを込めたこの歌を聞いて感心した慈円は、すぐに出家の式を行ったと伝えられています―。
けっして、自分の欲望を満たすためだけに急がせたわけではないでしょう。思いたつ心が起こるその背景と、無常なる世の様を、自らに引き当てて味わいたいものです。
- 天台座主
- 天台宗の総本山である比叡山延暦寺の貫主(住職)で、天台宗の諸末寺を総監する役職。
親鸞
月刊『同朋』2017年7月号(東本願寺出版)より※一部加筆
教え 2022 04