布施のもともとの意味は「与えること。ほどこし」です。ジャータカ(釈迦の前世の物語)には、釈迦がウサギとして説かれます。お話はこうです。飢えた旅人がいました。そこに、サルとキツネが登場し、旅人に食べ物を探してきて提供しました。しかしウサギには何も提供するものがありません。そこでウサギは焚き火に身を投じ、丸焼きになっていのちを旅人に提供したというお話です。「布施」には自分のできる範囲のものを提供するという意味もありますが、〈ほんとう〉は全身全霊を提供することを教えているのでしょう。
サルとキツネの行動は私の想定内の行為ですが、ウサギの行動は私の想像の範囲をはるかに超えています。この話を自分に引き当てて考えてみると、この場面でウサギと同じ行動が取れる自信はまったくありません。しかし、〈ほんとう〉の「布施」とはこういうものだと教えているようです。
ところで、私は昨夜、鰺の南蛮漬けを食べました。ひょっとすると、この鰺もウサギと同じように、全身全霊を私に提供されている姿かもしれません。もちろんウサギは自分から火に飛び込みましたが、鰺は人間の都合で殺されたので、まったく意味は違います。それに対して、私には懺悔以外にありません。このジャータカは、月にウサギが住んでいるという話のルーツだと言われています。
武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)
仏教語 2021 09