当たり前のことを当たり前にしていないか、ということを改めて知らされるこの言葉。一見すると当然のように思われる手順であっても、沸かし方や点(た)て方によっては味わいが変わる。飲む相手のことを思いながら「ただ」、「一心に」という姿勢も含めて、その本義を知りなさいということなのでしょう。
最近の住宅(住まい)は、和室がない家も多くなっています。ともなって、床の間もなくなり、昔でいう仏間(ぶつま)もない家が多いです。つまり、仏壇を置く家が少なくなりました。ある識者は、床の間や仏壇のような無条件に手を合わせたり、思いを馳せる場がないことを「聖空間の消失」と言い表しています。そうするとどうなるか。「場」がないと「時」がありません。一歩立ち止まって物事を考えることがなくなるのです。
忙しく生活していると、「一心に」や「ふたごころなく」という場面が少なくなります。効率化や生産性の重視に偏れば、他者への思いやりすら削られます。熱いお茶を飲みながら物事の本質を確かめる「場」や「時」も大切です。
お茶の世界の奥深さから生き方の根本を学ばされます。
千利休
茶人(日本)
「利休道歌」より
著名人 2021 06