世間では、「嘘も方便」などと使われますが、「方便」はもともと仏教語です。意味は、私たちを真実の仏法(ぶっぽう)に導く手だてです。それは何も仏さまの説かれる教えに限ったことではありません。実は私たちの生活全体が、仏さまが真実を示すための方便(手だて)なのです。生活と仏法は別々のことではありません。生活そのものが仏法です。
仏さまは、「私たちは何のために生きているのか」という問いを突き付けます。こういう問いを投げかけることによって、真実の仏法に目覚めてほしいと願っているのです。これは、この世を生きる一人ひとりへの問いかけですが、誰にでも当てはまるような便利な答えはありません。みんな顔が違うように、答えも違います。答えは一人ひとりが出さなければなりません。そのためにお釈迦さまや諸師方の言葉が残されているのです。
お釈迦さまは「犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め」(『ブッダのことば』)と、どこまでも私たちを励まして下さいます。
武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)
仏教語 2021 06