私が思うのは、いま若い人たちは、いや、若い人たちに限らず、私たちは“否定”に会いにくくなっているのではないかということです。あれもいい、これもいい、の消費社会で否定を体験できないでいる。それでいながら無条件の肯定にも会えないでいるのです。
退職する2年ほど前に、学生が私の授業に対する感想として、こんなことを書いてきたことがありました。「自分が何を愛しているかを伝えてくれた大人はいたけれど、何を嫌悪しているかを語ってくれた大人は先生が初めてだ」と。
つまり、いまの大人たちは、子どもたちに「これもいいね、あれもいいね」とばかり言ってきて、「こういうことは人としてパスさせられない」とか、「これには絶対に加担できない」といったことをちゃんと伝えてこなかったのではないか。その結果、いまの子どもたちにとって、世界は昼間の花火のように陰影のない、ぼんやりしたものにしか見えていないんじゃないか、と思うのです。
「本を読めば心が豊かになる」と私たち大人はみんな言うわけですが、心が豊かになるとはどういうことか。それは心が平らになること、ハッピーになることだけではない。心がデコボコになることだって豊かになるということですよね。本を読むことで、これまで自分では癒(い)えたと思っていた心の傷がまた口をあけたり、殺意が目を覚ますこともある。心が豊かになるとはそれらを含めてのことなのに、私たちはこれまで、平らにならすことしかやってこなかったんじゃないか。いまはそのことがとても気になっています。
清水 眞砂子氏
児童文学者・翻訳家
月刊『同朋』2013年2月号(東本願寺出版)より
著名人 2021 02