暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「覚悟」と言えば、「心構え」のことと受け取られますが、仏教語の「覚悟」は「真理に目覚め真理を体得する」という意味です。「覚」も「悟」も「さとる」という意味で、これは知的学習というよりも体験学習と言った方が近いように思います。それこそ禅宗では、坐禅を組み日常生活の行為全体が仏道だと教えます。浄土真宗も体験学習ですから、生活を通して学んでいくものです。真宗は「他力本願(たりきほんがん)」の教えだからといって何もしないものではありません。「他力」とは、生きていること全体が自分の思いを超えた世界であることを教える言葉です。
 私達は日常生活を大雑把に行為しがちです。しかし、丁寧に行為を見ていけば、そこに自分の思いを超えた世界が展開していることに目が覚めます。
 心に不調を来たした方がいました。その方は、鬱々(うつうつ)としてなかなか仕事ができませんでした。ところが、ある日、普段通勤時に降りていた駅のひとつ前の駅で降り、会社まで歩いたそうです。そうしたら、道端に咲いている小さな花や草たちが目に留まりました。普段の通勤では、そんなものは目に留まりませんでした。自分が不調になったお蔭で、いままで気にも止めていなかった世界が目に飛び込んできたのです。〈ほんとう〉の世界は、自分の思いを超えた世界だと、小さないのちが教えてくれたのです。これが「覚悟」のひとつの現れ方でしょう。

武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)

仏教語 2021 08