僧侶の法話

言の葉カード

 私たちは、どのような生き方を子どもたちに伝えているでしょうか。あるおばあちゃんが、お孫さんに「おばあちゃんになって何か楽しいことある?」と聞かれて「何にもない。若いときは良かった」と言われたそうです。そうすると、お孫さんにとって年を重ねることは、つまらなくて駄目なことと思うでしょう。そこで、「あんたのお陰でおばあちゃんになれたし、有(あ)り難(がと)うな」と言えたら、そのお孫さんにとって年を重ねる意味は全然違ってくるはずです。
 また、私たちは自分の力で人生を充実させようとします。テレビを見ていても、百歳になっても泳げる人やマラソンに挑戦している人など、年をとっても元気な人を特集します。本当に罪なことをしていると思いませんか。なぜ、年をとっても元気でなくてはいけないのか。そうすると、病気になることは駄目だということになります。
 私は「病院とお寺、どちらが無くなったら困りますか」と尋ねたりしています。そうすると、「そんな分かりきったこと言うな」と、病院が無くなったら困るというのです。でも不思議なことに、私の田舎でも小さな集落ごとにお寺があって、病院はずっと離れたところです。つまり、病院がない中で人生が全うされてきたのです。その生き方の違いとは何かと考えた時、生きる上での「いのちのいただき方」だろうと思います。その時に「そんな分かりきったこと言うな」という、分かりきったいのちの在り方とはどういうものでしょうか。
 いのちが、私になるよりもずっと前から始まっていると気付けた時、能力の有無、性格の良い悪いを超えて、出会えるものがあります。そこから始まれば、年をとっても、どのようないのちを伝えていくかが自ずと見えてくるのです。

飯山 等氏
大谷中・高等学校校長

「南御堂」新聞2018年10月号
(難波別院発行)より
法話 2020 05